駅前のスクランブル交差点に影が過る。思わず足を止める人、それが何なのか確かめる間もなくメトロの駅に逃げ込む人。雑踏にまみれた駅前は、思いがけぬ来訪者によって騒然となっていた。 襲来したのは、小型飛行機ほどもあろうかという大きさの怪鳥であった。赤黒い血色をした翼を広げて滑空する姿だけでも、人々に恐怖を植え付けるには充分である。 怪鳥は街頭テレビに映る女優の鼻を掠め、メトロの駅に影を落とし、モノリスのように聳え立つビルをねめつける。怪鳥が羽ばたく度に、ビルの窓ガラスが悲鳴を上げた。 「……怪鳥アクババだと!? 死体を貪るという奴が、何故こんな街中に!」 駆け付けた棗は、ゴーグル越しに飛来するアクババの姿を見て思わず呻く。 通報の内容は、「空を飛ぶ低級インベーダーらしきものを見かけた。危険性があるかもしれないので駆除して欲しい」というだけだった。まさか、それがこんな巨大な怪物だとは思ってもみなかっただろう。 「嗚呼、月詠! こっちだ、こっち!」 駅前に聳え立つ高層ビルの前で、三十代半ばのスーツ姿の男性が手招きをしている。染めたであろう茶髪を無理に後ろに撫でつけており、ワイシャツは第二ボタンまで開けられている。棗の客の一人で、低級インベーダー退治を依頼しているのも彼であった。 名前は藤堂巧といい、IT企業の社長だそうだ。以前、インベーダーから助けた事があり、それ以来、棗を贔屓にしてくれている。 藤堂はパンッと棗の前で手を合わせると、 「例のアレかと思ったら、とんだ大物だッ。うちの会社のビルが壊される前に、なんとかしてくれよ」 「アクババは身体こそ大きいが、生きている者には手を出さない。そう言った意味で、例の低級インベーダーよりも危険性は低いが……」 棗がそう言うと同時に、目の前のビルからガラスが降り注ぐ。アクババが滑空した際、風圧で窓ガラスが割れたのだろう。まるでシャワーのように落ちてきたガラス片に、藤堂は思わず「ひっ」と悲鳴じみた声を上げる。 「…………何年か前に、インベーダー対策の超強化ガラスを設置するように義務付けられていなかったか?」 「生憎、建設中の襲撃を恐れた業者が手抜きをしてしまったようでね。この辺は、脆いビルが多いんだよ」 藤堂は風圧で乱れた髪を撫でつけながら、苦笑に顔を歪める。 「成程。ならば、急ぐ必要があるな」 ひらりと漆黒のコートを翻し、棗は戦場へと踏み出した。飛行する巨体相手では、蛇腹剣は不利だろう。懐の呪符を取り出し、蛇腹剣と共に下げたコードシステムの増幅器を確認する。コードユーザーとして、戦うために。 「報酬はいつもの口座に入れておく。頼んだぞ、ヒーロー」 「やめてくれ。それよりも、HPOに連絡を頼む。今、俺が出来るのは奴を退けることぐらいだ」 「了解」 ひょいと肩を竦める藤堂に頷くと、棗は逃げ惑う人々の波に逆らい、アクババが舞う駅前のロータリーへと急ぐ。大勢の人間が我先にと押し寄せるが、彼はまるで風のように濁流を受け流して駆けていく。 「しかし、ヒーロー……か」 人と人の間をすり抜けながら、藤堂の言葉を思い出す。口に出せば、表情が自然と憂いを帯びた。 「そんな大層なものではない。俺はただの……」 人混みが途切れ、視界が開けた。ドアが開け放たれたまま放置されたタクシーや、無人となったバスの上を、巨大な怪鳥が飛び回っている。 アクババは何かを探すように視線を巡らせていた。その鋭くも濁った眼が棗を捉えると、ぐんっと高度を下げて滑空する。弾丸のように飛来するアクババに、棗は呪符を振り被った。 「俺はただの――剣で、刃だ!」 タクシーをふっ飛ばし、バスを薙ぎ倒して猛攻するアクババ。だが、その無防備な額に棗から解き放たれた呪符が突き刺さる。白い電撃と共に、突き抜けるような激痛がアクババを襲った。 「SIGYAAAAAッ!」 悶絶するアクババを尻目に、棗は五枚の呪符をアクババの下のアスファルト目掛けて投げ放つ。まるで円を描くかのように設置された呪符は、呼応するかのように光を帯び、五芒星を描いた。 「弾け!」 次の瞬間、棗が放った力ある言葉に応じるかのように、五芒星から光が噴出する。魔力が結界から噴水のように噴射され、隙だらけのアクババの巨体を上空に弾き出した。 「――!?」 強制的に上空に打ち出されるアクババ。いきなり遠くなった地面に目を剥きながらも、重力に引っ張られまいと翼を広げる。 不意打ちの攻撃の所為でフラフラしながらも、アクババは逃げるように駅前のロータリーから去る。しばらく空中できょろきょろとしていたが、ある一点に目標を定めると、耳奥を揺るがすような羽音を立てて飛んで行った。 「……こんなものか」 棗は地に落ち、力を失った呪符を回収する。 棗のコードシステムは呪符を媒介に結界を作り出すという能力を持っていた。棗は結界が形成される際に魔力が放出されるのを利用して、攻撃手段にもしているのだ。 それゆえに、コードシステムだけでは決め手が薄い。常人離れした身体能力を駆使して、蛇腹剣を使って戦うのだ。 とは言え、今回は蛇腹剣で相手にするには分が悪過ぎたが。 (それに、あの巨体と街中でやりあっては、それだけで被害が大きくなる。……一人では退けるのが精一杯だな) 薙ぎ倒された車や散乱するガラス片を見ながら、棗は心の中で呟いた。周囲に被害を出さぬように戦うのなら、HPOの得意分野だろう。自分がすべきは、今、そこで被害に遭っている人を守ることであった。 (――適材適所、か) アクババが逃げて行った方角にけたたましいサイレン音が集まって行く。藤堂の通報を受けて、HPOが出動したのだろう。 そちらとは打って変わった静けさを取り戻した駅前では、避難していた人々が恐る恐る戻ってくる。 (それにしても、なぜアクババが現れた? 災害の後やインベーダーによる甚大な被害が出た場所に現れるというのは耳にするが……) アクババの目的は、いずれも死体を漁ることである。場合によっては、他のインベーダーの死体を貪ることもある。その行為のおぞましさから、人々から忌み嫌われているのだが、直接的に人を傷つけたという報告は一切なかった。 現に、先程も滑空するのみで、人間を如何こうする仕草は無かった筈だ。 (だが、俺を見て一直線に向かってきた。何故だ……?) 脳裏に浮かぶ疑問符。それに答えるかのように、風でコートが翻る。闇に溶けてしまいそうなこのコートは、棗が常に身に纏っているものだった。勿論、インベーダー退治の時も。 「まさか、死の匂いに惹かれたのか……?」 死体を貪るアクババならば、他者には嗅ぎ取る事が出来ない『死』というものも分かるかもしれない。そうだとしたら、インベーダーを屠る棗は、死の匂いそのものだろう。 もし、本当に死の匂いに惹かれたのだとしたら、この街全体に死が漂っているのだろうか。 「ボーンコレクターの事件の所為か、それとも……」 棗にはもう一つ、思い当たる節があった。 それは、低級インベーダーの事である。 その身をこちらの世界の法則で変換出来なかった彼らは、出来損ないの影としてこの世界に現れる。それは、とてもではないが生きているとは言い難く、寧ろ、死んでいる途中で止まっていると言えた。 つまり、『死』そのものなのである。 棗は、最近の低級インベーダー発生地点を記録していた。電子手帳の記録(アーカイブ)を開くと、シティホライズンの地図が立体映像で現れる。そこには、発生地点を印す赤いマーカーが点在していた。 (一見、無秩序に現われているように見える奴ら……。だが、そこには法則がある) ある場所を中心として、マーカーが放射状に置かれていた。そのある場所とは、先程、アクババが向かおうとしていた場所である。 不意に、コートの中で携帯電話が鳴った。 「………………」 携帯電話の画面を見て、棗は黙り込んでしまった。 アマリリスからの「侵入開始!」というメッセージと共に送られて来た地図と、棗の記録が示していた場所が一致したのである。 その場所こそ、あのヘテロクロミアの執事、ツェーザルが仕えているという屋敷だった。 |