「なあ、この屋敷にユーレイが出るんだってさ」 カーテン越しに少年の声が響いた。 「廃墟のハズなのに、窓に人影が映るらしいぜ。噂によると、十年前にいなくなった屋敷の持ち主のユーレイだとか!」 「へー。そう言われてみれば、なんだかブキミかも〜」 人数は三、四人で、少年も少女も入り混じっているようだ。声からして、十歳になるかならないかといった年頃だろう。所謂、『怖い話』をしているのだが、子供達の声は楽しげだ。 彼らが話している屋敷というのは、正にこのカーテンの内側の事であった。外界との隔たりとなっているカーテンは厚く、決して開けられる事はない。だからこうして、音と僅かな光を頼りにしながら、外界を感じているのだ。屋敷の中にいる、『それ』は。 ずるっ……と明かりの無い部屋に、何かを引きずるような重々しい音が響く。まるで外から聞こえてくる声に惹かれるかのように、『それ』はゆっくりと移動していた。 「でもさ、ずっと放置されている割には、庭の雑草があんまり茂ってないよね。もしかして、誰かが本当に住んでるのかも」 「えー、そうなのかな。僕は誰もいないと思うけど」 「もしかしたら、ユーレイが手入れしてるのかもっ」 「ちょっと探検してみようぜ! 住んでるのが人間なのかユーレイなのか暴いてやる!」 リーダー格と思われる少年がそう言うと、外からは歓声が巻き起こった。ガチャガチャと鍵のかかった門を無理矢理開けようとする音が屋敷の中にまで響く。 厳重に閉ざされた門は少年や少女の力で開く事はないだろう。それでも、『それ』は外への興味を失わなかった。 カーテンの隙間から漏れた光が、『それ』のシルエットを浮かび上がらせる。壁に映った影は、何とも形容し難い姿をしていた。 その形は、この世界に存在する生物のどれにも当て嵌まらない。表面は波打つように動き、所々から腕のような触手が伸びては蟲のように蠢いている。まるで捏ね回した肉の塊が意志を持ったかのような姿だ。 べしゃりと粘着質な音を立て、触手はカーテンを押さえる。そのまま、カーテンを開けようとしたその時、すっと白い手袋が『それ』に重なった。 「御主人様、何をなさっているのですか?」 僅かな叱責の籠った穏やかな声が、暗い部屋の中を満たす。『それ』は観念したようにずるずると体を引きずりながら、窓の傍から離れた。 「彼らと遊びたいと思ったのですか? そんな御姿で」 カーテンを背に、白手袋に執事服の青年が問い掛ける。逆光が照らす微笑は同情に満ちており、悲しげですらあった。 青年の名はツェーザル=シュトライヒ。深い海の色の髪と、ヘテロクロミアの瞳を持つ執事である。 ツェーザルは肉塊たる『それ』に恭しく傅(かしず)いた。 「お気持ちは分かりますが、今しばらくお待ちください。御主人様のお身体が完成するまで、あと少しですので」 蠢いていた触手が鎮まる。そのうちの一本が、そっとツェーザルの手袋を撫でたかと思うと、今度は破かんとするかのように強引に引っ張る。 無言の主張。それを受け止めたツェーザルは、そっと両手の手袋を外した。 「話し相手ならば僕がなりましょう。遊び相手なら、僕がやりましょう。――このツェーザル=シュトライヒ、御主人様に身も心も捧げております。何なりと、お申し付けくださいませ」 指先がそっと『それ』を撫でる。肉塊には血管が張り巡らされており、どくんどくんと一定のリズムを刻んでいた。普通の人間ならば、この臓物を連想するかのような醜悪でおぞましい姿を見ただけで、吐き気を催すことだろう。 だが、ツェーザルは壊れものに触れるかのように、丁寧に表面を撫でていた。その手に恐怖や嫌悪は一切感じられない。 そこにあるのは、母親が子供を愛しむかのような慈愛であった。 「貴方を傷つける者や貴方を悲しませる者は許さない。それが例え何であろうと、僕は消し去ってみせましょう」 狂気すら感じられる光景だが、ヘテロクロミアの瞳にあるのは『主』に対する愛おしさだけである。 その頬に一本の触手が伸びようとしたその時、ガチャンという金属音が二人の間を裂いた。 「嗚呼、御主人様、申し訳御座いません。どうやら、招かれざるお客様がいらしたようです」 ツェーザルはすっと立ち上がると、手袋をはめる。 外から聞こえる足音は一つ。だが、声は二人分であった。十代半ばの少年と少女の声である。 「箒に乗せてあげるって言ったのに、わざわざ門を上るなんてさぁ。でも、忍者みたいでカッコよかったわよぅ、澪っち」 「澪っち言うな。このくらい、当然だ」 魔女とパーカー姿の少年――アマリリスと澪だ。カーテンの隙間からその姿を捉えたツェーザルは、依然として微笑を湛えている。だが、その眼に宿るのは慈しみではなく、氷のように冷たい殺意であった。 「話し合いで解決出来そうな方々でもありませんし、邪魔をするのであれば、少々消えて頂かなくては……」 全ては『主』の為に。 胸に誓いを刻んだ彼は、執事服を翻して侵入者達の元へと向かうのであった。 |