病院の屋上もまた、爽やかな朝日を迎えていた。高いフェンス越しに見える街のビルは、新しい朝の訪れを喜んでいるように見える。それを見つめているのは、ツェーザルとクロニクルであった。
 ヘテロクロミアの青年が纏っているのは執事服ではなく、入院患者用の寝巻きである。
 そこに病弱さがあれば、薄倖の美青年として絵になりそうなものなのだが、色白ながらも血色の良い肌と、洗練された品の良い微笑が、場違いな雰囲気を醸し出しているだけであった。

 その横で、ちょこんと佇んでいるクロニクルは、金の髪をツインテールにされていた。ご丁寧に、白いレース付きのリボンまで付けられている。棗とツェーザルを看病している時に、アマリリスに散々遊ばれたのだ。
 クロニクルは不服そうな顔をしながら、純白のロリータ服の裾を掴んでいる。アマリリスがわざわざ寮から持って来てくれたものなのだが、幼いクロニクルの体には少々大きかった。白い翼は無く、今はただの可憐な少女に見える。

「街が起きだしましたね、御主人様」

 眼下に横たわる往来を行き交う人々が増えて来た。会社に向かうサラリーマンや、学校に向かう少年少女が見える。そんな様子を見降ろしながら、ツェーザルは呟いた。

「まずは、御主人様にお詫び申し上げなくては。ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」

「…………」

 クロニクルは答えない。無言のまま、ツェーザルと同じように通行人を見つめていた。

「それと同時に、お礼も申し上げたいんです。あの時、御主人様が止めて下さらなかったら、僕は今、この場に居ませんでした」

「…………?」

 疑問符を浮かべてツェーザルを見上げるクロニクルに、彼は笑顔のまま眉尻を下げる。

「棗様は、あのまま僕に斬られようなんて思っていなかった。後で思い出してから気づいたのですが、彼は僕にカウンター攻撃を仕掛けるつもりだったのではないかと。――御主人様を救うために高レベルな結界を形成しましたよね? あの力、僕にぶつけるつもりで隠し持っていたんですよ」

 ツェーザルはフェンスを指先で弾くと、踵を返す。真っ直ぐと伸びた背筋は、執事服を纏っていなくても彼が執事だと言う事を物語っていた。

「棗様は、優しい人です。けれど、それが故に弱くなる事も知っている。優しさが故に心を鬼にし、自らをも殺す剣が、僕を生かしておくわけがありません。だから、御主人様があの時、ああしてくれなければ、僕は彼に斬り伏せられていました」

 皮肉なものです、と溜息交じりに零す。ツェーザルにとって命よりも大切なクロニクルの犠牲によって、今の結果がもたらされたのだから。

「しかし、よく分からないのです。――また、御主人様に仕えられるという喜びの裏で、あの場で罰せられる事を望んでいた僕もいる。御主人様の為ならばどんな罪も背負うと覚悟した裏では……」

 自分が手にかけた人間への罪悪感に押し潰されそうな自分もいる。その言葉は、声になる事は無かった。
 その一言は、多くの犠牲の上で肉体を得た主をも戒める事になるだろう。それに、ツェーザル自身も、目を背けてきた罪の意識を認識してしまうことになる。
 それは、ツェーザルにとって耐え難い現実だった。
 忠誠を誓ったクロニクルの刃であり、手足である事を選んだ彼もまた、自らを殺して凶行を続けていた。だが、殺しきれなかった罪悪感が蓄積し、彼を内側から蝕んでいる。それは時折、外に漏れ出して、彼の笑顔を掻き消していった。

「おい」

 愛らしい少女の声に似つかわしくない乱暴な呼びかけが、ツェーザルの背中を叩く。振り返ろうとした瞬間、ぽすっと背中に何かが埋まった。
 クロニクルが、抱きついてきたのだ。

「御主人……様……?」

「お前の罪、ボクにも半分背負わせろ」

 クロニクルの言葉に、ツェーザルは目を丸くした。

「とんでもありません! これは僕が勝手にやった事。御主人様が背負う必要なんてありません……!」

 ツェーザルがクロニクルの肩を掴もうとすると、小さな手がそれを払い除けた。

「ボクのこの体は、屍の上で成り立っているだろう」

「…………御主人様」

「けれど、ボクはそんな体なのに、嬉しいんだ。こうして、他者を壊さず、他者を苦しめぬ体が手に入った事が。――そして、お前がボクなんかの為にここまでしてくれた事が、苦しいけど、嬉しい。とても……」

 クロニクルはツェーザルの背中にぎゅっと顔を埋める。まるで、互いが生きている証を確かめるかのように。

「だから、ボクは罪を背負う資格が充分にある筈だ。一人で背負おうなんて思うなら、承知しないからな!」

 不貞腐れるように言い放ったかと思えば、クロニクルはぷいっと顔を背けた。まるで照れ隠しのようなその行動に、ツェーザルは思わず顔を綻ばせる。

「――御意に、御主人様」

 迷いの無いその言葉には、小さな主への感謝と、深い愛情が含まれていた。
 それを察したのか、クロニクルはちらりとツェーザルの方を見やると、むず痒そうな微笑を漏らす。

「ちゃんとした肉体を得て、五感で世界を感じてから、思った事があるんだ。この世界は、本当に面白いな。――ツェー、あれは何だ? どういう生き物なんだ?」

 クロニクルは踊るようにスカートを翻す。再びフェンスにしがみ付けば、大通りを走る鉄の塊を指さした。

「あれは自動車です。生き物ではなく、機械なんですよ」

「人工物と言う事か。なあ、どんな魔法で作ったんだ? 高名なエンシェントが作ったんだろう?」

 問いかけてくる視線は好奇心に満ちていた。そんな様子を微笑ましそうにしながら、ツェーザルもその傍らへと歩み寄る。

「いいえ。あれは魔法ではありません。人間が培ってきた物理的な技術に基づいて作られているんです」

「そう、なのか……? じゃあ、あの建物も、お前達がいつも弄ってるものも、なのか?」

「ええ。ビルもパソコンも、全て魔法ではないんです。文明の賜物ですよ」

「…………そうか」

 クロニクルは考え込むように腕を組む。その肩に、ツェーザルはそっと掌を乗せた。

「そういった文明がインベーダー達に壊されぬよう、コードシステムがあるのです。僕はそれを、奪うために使ってしまった……」

「…………。ツェー、お前に命令だ」

 唐突に顔を上げたクロニクルに、ツェーザルはきょとんと眼を瞬かせる。だが、クロニクルはそんな様子に構わずに、一気にまくしたてるように言った。

「これからは、お前の力はボクだけでなく、人類の文明を守るために使え」

 朝の空に鳥が飛び交う。彼らが羽ばたいて行った先には、数々の高層ビルが立ち並んでいた。その骨組一つ一つに、先人が築き上げて来た技術の結晶が詰まっている。

「こんなに素晴らしい世界、壊されてたまるものか。――お前も、そう思うだろう」

 口元を釣り上げた生意気な笑みも、ツェーザルには愛らしく見えた。宝石のような真っ直ぐな碧眼は、朝の陽ざしに照らされたツェーザルをハッキリと映していた。

「はい、御主人様。この力、御主人様と人々が積み上げて来た歴史の為に奮いましょう」

 朝日の下の新たなる誓いが、ツェーザルの胸に刻み込まれる。
胸に手を当てて宣誓するツェーザルに、クロニクルは陽だまりのような笑顔を咲かせた。






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