棗が紹介した病院は、一見、何処にでもあるような総合病院だった。内装は広々としており、明るい空気に満ち溢れている。淡いベージュの床は良く磨かれており、清潔感が漂っていた。 だが、廊下ですれ違う患者は、病人や怪我人らしからぬ雰囲気を醸し出している。病人や怪我人特有の弱気は感じられず、寧ろ、そう思わせぬほどに隙が無い。彼らは共通して、歴戦の戦士の目をしていた。 曰く、この病院はネイティブが経営しているらしい。院長も看護師も人ならざる者、ネイティブなのだ。医学知識を持ったネイティブらが種族問わず集まり、主に、人間社会に溶け込んでいるネイティブを相手にしていた。 ネイティブの殆どが普通の人間として暮らしているが、彼ら特有の症状というものもある。そういった、人間の医者に診て貰えないような症状を診てくれるというのだ。勿論、怪しまれぬように一般人にも開放しているため、純粋な人間も訪れるわけなのだが。 正体を隠し合って現代社会に溶け込んでいるネイティブ達は、互いの事情を深く詮索しない。血塗れの棗とツェーザルを目にしても、体に無茶をさせた事に対してお咎めがあったのみで、深く追及されなかった。 棗が目を覚ますと、クリーム色の天井が見えた。薬品と見舞いの花と、血と病の匂いに、そこが病院である事を認識する。 人間からしてみれば利き過ぎる鼻をすんと鳴らすと、ゆっくりと右手を動かしてみた。 「……違和感はない。傷は、問題なく塞がったようだな」 体を起こそうとしたが、左腕に違和感を覚える。驚いて視線を落としてみると、そこにはアマリリスが頭を乗せ、ぐったりとした様子で眠っていた。 そこで棗は、改めて自分の置かれた状況を思い出す。 確か、アマリリスと澪は診察と応急処置で済み、主の傷は完全に塞がっていたのだ。しかし、棗とツェーザルの怪我が酷く、医師から大目玉を喰らったのである。 そのまま、半ば強制的に入院させられ、今に至るという事だ。 「ん……ぅ。棗さん、目が覚めた?」 寝ぼけ眼のアマリリスが顔を上げる。だが、口元に涎が伝っているのに気付き、慌てて拭った。 「ずっと、ここに居てくれたのか?」 「うん。だって、棗さんもツェーさんも死んだように眠っちゃってさ。すごく心配したのよぅ」 アマリリスは棗の隣のベッドに視線を向ける。そこに、ツェーザルの姿は無かった。 「ツェーさんなら、一時間前に目を覚ましたのよぅ。クロちゃんと一緒に屋上に行ったみたい」 壁にかかっている時計を見てみれば、短針は朝の八時を差していた。カーテンの隙間から漏れる朝日は、柔らかい。 「そう、か……。しかし、その『クロちゃん』とは誰だ?」 「へへへー。あの天使の女の子の事よぅ。名前が無いと不便だからって、私が付けてあげたの。――あの子、今まで生まれる前みたいな感じだったじゃん? だから、体を手に入れて、これからあの子の人生が始まるっていう意味で、物語(クロニクル)なの」 「……あの者とツェーザル、あの二人はこれから多くの困難に直面するだろう。それでも、折れることなく二人の物語を、紡いで欲しいものだな」 棗はそう呟くと、静かに息を吐いた。右胸には刃の感触が、右手には柄の感覚が鮮明に残っている。 「ツェーザルを……あいつを倒していたら、俺はきっと後悔していた。あいつを倒さなくては、犠牲者が増えているところだったとはいえ、あいつは主を助けるために……」 それは、ずっと頭の中で巡っていたものであった。ツェーザルのしたことが許せないと思いつつも、心の何処かでは責める事を躊躇していた。 「感情を消すというのは難しいものだ。俺は、剣になりきれていないようだな」 自分を殺して弱者を守るための剣となること――それが、棗が目指すものであった。だが、一見、冷静で無感情に見える棗であったが、その胸の奥にある人間以上に人間らしい感情は殺す事が出来なかった。 自嘲的な微笑を浮かべる棗に、アマリリスはぷるぷると首を横に振る。 「でも、だからこそクロちゃんは棗さんに希望を見たんじゃないかなって思うのよぅ」 アマリリスはそう言いながら、ツェーザルのベッドの方に視線をやる。数時間前までは、クロニクルもアマリリスと同じようにツェーザルに付き添っていたのだろう。 「棗さんとツェーさんが寝てる時に話してたけど、ツェーさんは元々優しい人だし、忠義と優しさの間に挟まれて苦しんでいるんじゃないかって。だからこそ、人間らしい感情を捨てて修羅の道に走ったんだけど……」 「……ああ」 棗は頷いた。もし彼が、自己中心的な理由で欲望のままに人を殺めていたとしたら、棗は決して容赦をしなかっただろう。 だが、そうでないことが、棗の刃を鈍らせた。 「クロちゃん的には人の感情を捨てないで欲しいんだって。クロちゃんは…………優しいツェーさんが好きなんだと、思う」 クロニクルは少なからず、ツェーザルに好意を抱いていた。それは、鬼人さながらに人を斬る彼ではなく、醜い肉塊が相手であろうと無償の愛情を注いでいた彼に向けたものだった。 アマリリスは一息つくと、棗の方をちらりと見つめる。 「棗さんは、さ。ほら、そういう優しさがあるから」 「優しい……?」 不思議そうな顔をする棗に、アマリリスは思わず詰め寄った。 「優しいわよぅ。そもそも、棗さんの戦う理由がそうじゃない! ――それに、私のことだって……。落ちこぼれの魔女なんて誰も相手にしてくれないのに、棗さんは一人前として扱ってくれるもん。その優しさに、私がどれだけ救われたか……」 ぼそぼそと口の中で呟くアマリリスの頬は仄かに赤くなっていた。 「ツェーさんの事だってそう。理由はどうあれ、ツェーさんは沢山の人の命を奪ったじゃない。棗さんは、それが許せないけれど……ツェーさんの理由も尊重してあげたいと思ってるんでしょう」 「……それは……」 「私知ってるもん。棗さんが悩んでること。ツェーさんと闘っている時、ずっと辛そうな顔をしてたもん!」 ばっと顔を上げたアマリリスの目は、真っ直ぐと棗を見つめていた。あまりにも真剣なその瞳に、棗は思わず声を失う。 「棗さんはなんでも自分で抱え込んじゃうけどさ。私がいることも忘れないでよぅ。私だって、相談に乗ることくらいはできるんだから」 アマリリスは拗ねたように口を尖らせる。そんな彼女の頭に、棗はそっと手を乗せると、 「…………そうか、すまない。――そして、ありがとう」 静かに、そして優しく囁いた。まるで頭を撫でられているような感覚に、アマリリスは耳まで真っ赤になる。 「はわわわ! 恥ずかしいわよぅ!」 勘弁してくれと言わんばかりの声を上げるアマリリスだったが、棗の手を振り払う事はしなかった。 (……だって、こう、棗さんの手って温かくて……) 両親ともまた違った親しい相手の温もり――そう、まるで、先生のような温かさであった。幼い頃、才能が無い自分にも親身になって魔法を教えてくれた恩師を思い出し、アマリリスは懐かしいようなむず痒い様な気分になる。 (きっと、棗さんがブライトさんに撫でられた時もこんな気分だったんだろうなぁ) 師の温もりは弟子へと受け継がれるのだろうか。もし、そうならば、 (私も、いつかこんな風に誰かに温もりを届けられたらいいな) アマリリスはそんな事を考えながら、暫くの間、棗の優しさに甘えていたのであった。朝の淡い日差しに包まれながら。 |