その後も数日間、曇り空が続いていた。いい加減、本来の空の色を忘れてしまいそうなほどである。
 アマリリスは学園の階段から空を見上げながら、重い溜息を吐いた。

「あーあ。最後の青空を飛んでから、何日経ったんだろ」

 空に勝らず劣らずという憂鬱な表情で、恨めしい視線を空に向ける。放課後なのにも関わらず、気持ちが鉛のように重かった。
 アマリリスの主な交通手段は空飛ぶ箒だ。放課後になるといつも、屋上から箒に跨って棗の事務所に向かうのだ。普段ならばスキップ交じりで階段を駆け上がるが、今はとてもではないがそんな気になれない。
 雨が降り出しそうな空を飛ぶことを考えると、テンションが下がり過ぎて足枷でもされたような気分になる。

「せっかく海沿いの街なんだしさ。爽やかな潮風を受けながら……って、あれ?」

 窓を叩く音が耳の中で弾けた。注意しなくては聞き取れないほどの小さな音に、アマリリスは露骨に顔を顰める。
 窓の外を見なくても分かる。この音は、雨の音だ。

「ううう……。雨の中飛んでいくのは嫌だなァ。といっても、ビルの間を通って行くのは億劫だし……」

 交通手段が箒による飛行だというアマリリスにとって、徒歩というのは何とももどかしいものであった。
建物があれば迂回しなくてはならないし、交通量が多い大通りは信号が青になるまで待たなくてはいけない。箒であれば、それらのタイムロスを飛び越えて目的地に向かう事が出来るのだ。
 空は鉛色から暗黒になっていた。窓を叩く雨は激しく、暗雲は唸り声をあげている。

「うわぁ、雷鳴ってるじゃん。急がないと、マジで飛べなくなっちゃう!」

 雷鳴はまだ遠く、学園に到達するには時間がかかるだろう。だが、悠長にしていられなかった。

 バタバタと騒がしい足音を響かせながら屋上へと向かうアマリリス。屋上に通じる階段は、照明が切れてしまっているようで薄暗い。手入れがされていない床には埃が積もり、壁のシミは人の形に見えた。

 幽霊が出てきても可笑しくない。
 アマリリスの脳裏にそんな言葉が過った。その時であった。
 雷鳴が耳を劈(つんざ)き、稲光が階段を照らす。刹那、屋上の扉の前に黒いシルエットが浮かび上がった。いきなり目の前に現れたそれに、アマリリスの全身が総毛立つ。

「ひぎゃぁああああ!」

 婦女子らしからぬ絶叫を上げたアマリリスは、転がり落ちるが如く逃げ出す。だが、

「待て、逃げるな。俺は幽霊とかじゃない」

 淡々とした少年の声がアマリリスを引き止める。
アマリリスが恐る恐る振り返ると、そこには、パーカー姿の少年が立っていた。
 目深に被ったフードから見えるのは、不規則に散りばめられた茶髪と鋭い眼光を放つ褐色の瞳である。への字に曲げられた口元に不機嫌さを乗せ、腕を組んで仁王立ちになる姿は横柄そのものであった。
 だが、それだけの存在感を醸し出しながらも、声をかけられるまで少年の気配に気付けなかったのである。

「来ると思っていたぞ、魔女。しかし、この天候で飛ぶのは正気の沙汰とは思えないな」

「だ、だって、飛んだ方が楽なんだもん! っていうか、だ、誰?」

 アマリリスは少年を指差す。
 少年は彼女の素性を知っているようだったが、彼女は彼のことを知らなかった。
 学園内では彼女が魔女だという事は有名なのだが、少年が学園の生徒だとは思えない。彼が眼の前――学園内にいる事に違和感があるのだ。

 直感的に少年が外部の人間だと悟ったアマリリスは、思わず身構える。そんな彼女を見て、少年は冷めた表情で静かに答えた。

「――俺の名前は来須(くるす)澪(みお)。『怪談狩り』という名の方が有名だがな」

「か、怪談狩り!? もしかして、怪談絡みのインベーダーを倒すっていう、例の……!」

「その言い方には語弊があるな。俺の目的は飽くまでも人に害を及ぼす異形を葬ること。インベーダーに限った事じゃない」

 澪と名乗った少年は、不機嫌そうに顔を顰める。何度も同じことを言わされているという表情だ。
 アマリリスは棗とブライトとの会話を思い出す。弱者を庇い、インベーダーを相手にする棗とは違い、澪は飽くまでもヒューマンのみの味方であった筈だ。

「……えっと確か、ネイティブ、も?」

「流石は魔女、よく知っているな。俺は人々に恐怖を齎す存在と敵対する者。――怪談狩りとして、お前に聞きたい事がある」

 アマリリスは目を瞬かせた。

「聞きたい事?」

「そうだ。先日、この近くの駅前で殺人事件があっただろう。俺はその犯人――ボーンコレクターを追っている」

 稲妻が空を裂き、閃光が二人の影を壁に焼き付ける。激しさを増した雨は狂ったように窓ガラスを叩き、まるで複数の人間が拳で殴りつけているかのようであった。
 予想外の場所で交じり合った道。アマリリスは思わず息を呑む。

「わ、私も一応調べてるけど、手掛かりは見つからないのよぅ。もしかしたら、インベーダーが絡んでるかもしれないって、そのくらいしか……」

「ふぅん。ただの魔女にしては面白い着眼点だな」

 目を瞬かせる澪に、アマリリスは頬を膨らませる。澪に向って無駄に胸を張ると、

「ただの魔女じゃないもの。私はインベーダーを駆除するバニッシャー……………………の助手をしているわ」

「……語尾が小さくなっているんだが」

「いいでしょ、別に! 助手って言っても、ちゃんと一人前に戦えるんだからね!」

 アマリリスは真っ赤になって箒を振り上げたかと思うと、ズビシと澪に突き付ける。ムキになる彼女に「はいはい」と適当な返事を返しつつも、澪はある一点を聞き逃さなかった。

「で、そのバニッシャーとやらの話が聞きたいんだが。案内しろ、魔女」

 澪のふんぞり返るような尊大な態度は、とてもではないが人にものを頼む態度とは思えない。腕を組んでアマリリスを見下ろす澪に、アマリリスはチラチラと焦らすような視線を送った。

「えー、どうしようかなぁ。なんか、澪っちは態度が大きいしぃ」

「澪っち言うな。場合によっては、こちらも情報を提供する。悪くない話だと思うがな」

 了解を促すように片眉を吊り上げる澪に、アマリリスは露骨に嫌そうな視線を送りつつも、箒を片手に踵を返す。

「へいへい、案内しますよー。アマリリスたんは偉いから、ムカつく澪っちを棗さんの事務所に連れていくのでした」

「なんだ、そのナレーションは……」

 澪は半眼になりながらアマリリスの後に続く。





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