「確実に成功するとは言えないけれど、一時的に魔力を遮断して、傷口を浄化すれば良いのよぅ。……その為には、澪っちの浄化の術が必要なの。澪っち、協力してくれる?」 「……低級インベーダーを呼び寄せる原因になっていたとは言え、その娘に罪は無い。俺に、断る理由は無いな」 澪は仏頂面のままだったが、ひょいと肩を竦めて了解の意を見せた。 「へへ、有難う、澪っち。あとで、ドーナツ奢ってあげる」 「別にいい。――で、どうすれば良いんだ?」 「この子目掛けて、あの術を撃って。体を得る前だったらどうなってたか分からないけど、今のこの子の魔力は正常なものだもん。魔力とこの子のギャップで歪んだ魔力が生まれて、この子を蝕んでるわけだから――」 「それを正常化すれば良い、ということだな。分かった」 主の体は既に揺らぎ始めていた。傷口から光を溢れさせながら、少しずつ透過していっている。 そんな主の傷に向けて、澪が指先を構える。 「そして、魔力の遮断だけど……」 アマリリスは棗の方に視線をやった。棗は貫かれた右胸を押さえたまま、肩を上下させている。体力が戻った様子は全く見受けられなかった。 「棗さん、大丈夫?」 「……嗚呼」 短い返事に、いつもの心強さは無い。本当は、立っているだけでも精一杯なのかもしれない。 「け、結界術で隔離空間を作るの……出来る?」 その一言に、澪とツェーザルはハッと気が付いた。 結界術とは本来、ある点もしくは面において特殊な状態を築き上げるものだ。棗の攻撃は点の規模で結界を出現させ、防御は面の規模で結界を展開している。 だが、今必要なのは、少なくとも主を包み込めるほどの結界であった。魔力を遮断させるという精密な壁を構成し、維持しなくてはいけないのだ。 ただでさえ難易度が高く、高度な技術を要するというのに、深手を負った棗に出来るのだろうか。 しかし、 「可能だ」 棗の返事は一言であった。 右胸の傷からそっと手を放すと、主とツェーザルに背を向ける。 「その者は汚染で苦しんでいる。一刻も早く、苦しみから解放してやりたい」 「……棗様……」 その背中は覚悟に満ちていた。例え何があろうと、その背に背負ったものは決して零さないという決意があった。 ツェーザルは、呪符を構える棗の背から視線を外すと、主の細い体を抱き締めながらアマリリスに縋り付く。 「魔女のお嬢様……。僕は、一体何が出来るでしょうか。僕も御主人様のお役に立ちたいのです……!」 「ツェーさんは、一番大切な役を頼みますよぅ。今、この子は人間でいう危篤状態なの。これから治療に当たるわけだけれど、その前に本人の魂が剥離してしまったら意味が無いのよぅ。だから、しっかりと呼びかけて欲しいの」 「分かりました。――御主人様、御主人様!」 ツェーザルの叫ぶような声が響く中、棗による結界が展開される。魔力が遮断されることによって、結界内の魔力が著しく低下するが、澪は指先にそれを掻き集めた。 「御主人様、どうか……目を覚ましてくださいっ。目が覚めたら、僕は御主人様が望むこと、何でも致しましょう。御主人様の食べたいものは何でも作りましょう。だから、どうか行かないでください……!!」 喉から振り絞り、枯れ掛けた声が響く、それと同時に、澪が主に向かって術を放った。どんっという空砲のような音が辺りを支配し、主の傷跡から湧き出ていた淡い光が、ぱっと飛び散る。 「……御主人、様……」 ツェーザルは恐る恐る、主の頬に触れる。光が失せた事によって晒された傷口は、まるで奈落に続いているのではないかというほどに深く、絶望的だった。ツェーザルは改めて、自らのした事の重さを噛み締める。 「…………僕はもう、御主人様のお傍にいる資格は無い。何よりも大切な御主人様を傷つけてしまったのだから」 主はこれ以上何も要らないと言った。ならば、自分に出来る事はもうない。 だが、そんなツェーザルの頬にそっと触れるものがあった。主の、小さな手だ。 「御主人様……!」 「お前は、ボクの言葉を聞いていなかったの……か? 一緒に居たいと言っただろう?」 苦しげではあるが、淡い紅色の唇がそっと微笑む。刻まれた傷は、歩みこそは遅いものの、徐々に小さくなっていく。 ツェーザルの視界が涙で見えなくなってしまう頃には、完全に塞がっていた。 主はツェーザルの腕の中で首をもたげ、三人を順番に見つめる。 「ありがとう、お前達……。迷惑をかけたな」 「別に良いのよぅ。困ってる人を助けるのは当たり前だもん。ねー、澪っちに棗さん」 「……あ、ああ」 アマリリスに顔を覗き込まれた澪は、口をへの字に歪めながら返事をする。その表情は、どこか照れくさそうにも見えた。そして、 「棗……様……」 ツェーザルは静かに佇む棗に視線を止めた。右胸の傷を押さえたまま、無言でツェーザルと主を見下ろす目は、何かを言いたそうにしている。 「罪は、罪です。求められるのならば、幾らでも罰を受けましょう」 「…………」 目を伏せるツェーザルに、棗は沈黙を返した。やがて、ふらつく足取りで踵を返すと、ゆっくりとした足取りで庭園の出口へと向かう。 「棗様?」 疑問符を浮かべるツェーザルに、棗は視線だけそちらに向けた。 「行くぞ」 「い、行くぞって、警察にでも行くつもり!?」 アマリリスは慌てて棗を止めようとするが、棗は首を横に振った。 「違う。病院だ」 「へ? 病院?」 「ここにいるのは怪我人だけだ。だから、病院へ行く。それだけだ」 「……棗さん!」 アマリリスはぱあっと表情を輝かせる。棗は澪に視線を送ったが、彼は何の迷いもなく頷いた。 棗は懐から一枚の名刺を取り出すと、ツェーザルの方に放り投げる。 「これから、俺の行きつけの病院に行く。深い事情は聞かない上に、様々な種族を診ている医者がいる。……お前達も、ついて来い」 ツェーザルは名刺を受取ると、しばらくそれと棗の事を見比べていたが、 「――はい」 やがて、棗に向かって深く頭を垂れた。その顔に浮かべられたのは、感謝に満ちた笑みであった。 |