深手を負った棗に向かって、ツェーザルの斬馬刀が振り下ろされる。アマリリスの悲鳴が響き、澪は思わず目を覆う。
だがその瞬間、第三者が戦場に介入した。

「――待て! そいつを、その男を殺すな!」

 まばゆい光と甲高い声と共に、『それ』が現れる。
 『それ』は、目が覚めるような金の髪に、宝石のような碧眼をした幼子であった。雪のように白い肌の愛らしい顔立ちの『それ』は、白い翼を広げて、棗の前に立ちはだかる。

 まるで、彼をかばうかのように。

「御主人様!」

 ツェーザルは驚愕のあまり、反応が遅れる。その一瞬が、斬馬刀を振り下ろすという事を停止させる行動を遅らせてしまった。

 次の瞬間、ツェーザルの絶叫と共に、主目掛けて斬馬刀が振り下ろされる。

「――ッ!」

 誰の絶叫かは分からない。ただ、その悲鳴と共に絶望がその場を支配した。
 肉を斬るのとはまた違った、毛布を切り裂くような感触が斬馬刀越しにツェーザルに伝わる。絶望の扉を開くのは余りにも容易なもので、剣閃は主の体を無残にも切り裂いた。深い切り傷の中から、雪のような羽根が飛び散っては虚空へと溶けていく。

「……ツェー、月詠棗を殺しては……ダメだ。彼を倒してしまっては、お前は本当に修羅となってしまう……」

 主は深手を負いながらも、ツェーザルを諌めるように、無理矢理に微笑を作って見せた。震える小さな手を、ツェーザルに向かってそっと差し伸べる。

「御主人……様……!」

 ツェーザルの右手からは斬馬刀が消えた。主の手を握り返そうと手を差し出すが、指と指が触れる直前で、主の指先が力無く落ちる。バランスを失った小さな体が頼りない弧を描きながら、ツェーザルの腕に倒れ込んだ。

「……な……っ」

 言葉を失う棗の背後から、箒に乗ったアマリリスと澪が駆け付ける。箒で空中を全力疾走して来た所為で、二人の髪はぐしゃぐしゃに乱れていた。

「この子、いきなり目を覚まして、それで……!」

 肩で息をするアマリリスは、ツェーザルの腕の中の主と棗を交互に見やる。ツェーザルは主を抱き締めたまま、肩を震わせて蹲っていた。

「御主人様……僕は、僕は……」

 ぽた、と主の青白い頬に雫が落ちる。涙だった。

「……ツェー、ボクはもう、良いんだ……。低級なインベーダーとして消滅していく筈だったボクに……手を差し伸べてくれて、尽くしてくれて……それだけで、充分だったから」

 主は掠れた声でそう言いながら、涙が伝うツェーザルの頬に触れる。その指先は僅かに透け、存在の危機を示していた。

「父に認められようとか……故郷に帰ろうとか……、そういう事よりも……ボクは」

 そこまで言うと、主はふっと微笑む。苦しげな様子にも関わらず、その笑顔は実に幸福そうであった。

「ボクは、お前と一緒に居たいんだ……。それさえ叶えば、他には何も……要らない」

 ツェーザルの頬に触れていた手が、するりと落ちる。言い終えると同時に、サファイアのような瞳が静かに閉ざされた。

「御主人様、御主人様!」

 ツェーザルの必死の呼び掛けに、主は反応しない。斬馬刀に切り裂かれた傷口だけが、シュウシュウと音を立てて淡い光を零し続けている。

「……ツェーザル……」

「僕の所為だ……。僕が、僕が御主人様を……!」

 ツェーザルの絶望的な悲鳴は棗の心を締め付ける。澪もまた、その叫び声から逃れようとするかのように首を横に振る。
 だが、

「こ、この子って、天使族なんだよね? 本で読んだことがあるけれど、一般レベルのインベーダーなんかより、ずっと高い能力の持主らしいのよぅ。それが、人間が作ったコードシステムで致命傷を負うなんて、あまり想像出来ないけれど……」

「ですが……。現に、御主人様は……」

 ツェーザルは腕の中の主を示す。傷口からは止め処なく光が流れ落ち、指先や毛先から徐々に存在が希薄になっている。放っておけば、消滅してしまう事は間違いなかった。
 しかしその中で、アマリリスはある事に気がついた。

「もしかして……魔力汚染に治癒能力が追いつかないのかも……!」

「魔力汚染……?」

 疑問符を浮かべる棗に、アマリリスは大きく頷く。

「そう、魔力汚染。低級インベーダー発生のケースと似ているけど、異世界の繊細な魔力の持ち主が、こちらの世界の荒削りな魔力を取り込もうとすると起こったりするのよぅ。その逆も然りで、魔力濃度が異常なほどに濃い魔力体が、こちらの魔力の低いものに触れても同じような事が起こるけど」

「……どういう事が、起るんだ?」

「どちらのケースも、魔力に侵食された方――つまり、汚染された方は酷い事になるのよぅ。下手したら、肉体が蒸発しちゃうかも」

 そこまで聞いて、ツェーザルはハッと顔を上げる。

「御主人様が降臨なさった時に、後者のような出来事がありました……」

「つまり、魔力濃度が高いという事か。肉体という器が破壊された時に、濃厚で繊細な魔力が外界に晒され、魔力汚染を受けたと。……どうすれば、汚染を止められる?」

 棗の問いかけに、アマリリスは「うーん」と難しい顔をする。その様子を見たツェーザルは、ぴくりとも動かない主を抱えたまま地面に膝を付いた。

「どうか……どうか、御主人様を助けて下さい! 虫のいい話だとは思います。けれど、御主人様だけは、どうか……。僕は、どうなっても構いませんから……っ」

 ツェーザルは、見ている者が息を呑むほどに必死な表情で懇願する。切実に歪められた眉と、頬を伝う涙は、彼の微笑の仮面が割れた事を意味していた。

「…………。アマリリス、心当たりがあるなら、俺からも……頼む」

 アマリリスの傍らにいた棗も、右胸の傷を押さえながら深々と頭を下げる。そんな様子に、アマリリスは慌てたように目を白黒させていた。

「わわっ! な、棗さんがそう言うのなら……その……」

 ちらりと澪、そして、棗を見やる。それから、肩に首を埋めるようにして、しどろもどろに話し始めた。






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