棗の必死の訴えも、ツェーザルの前では虚しく散る。彼の眼もまた、誰にも譲れぬという強い意志を秘めていた。

「肉体の限界なんて、何度でも超えてみせましょう。全ては、御主人様の為に」

 そう言いながら、後頭部から滴る出血を拭う。白い手袋はあっという間に鮮血に染まっていった。

「棗様、僕はね――愛の戦士(ラブウォーリア)なんです」

 爽やかな笑顔でさらりと放たれた言葉に、棗は一瞬、目を丸くする。

「愛情が深ければ深いほど強くなれる。それこそ、精神が肉体を凌駕するほどにね。つまり、僕は最初からクライマックスで、常にマックスハートなんですよ」

 血まみれの体を起こし、ボロボロの執事服を月に照らしながら、ヘテロクロミアの美丈夫は詠うように言った。恥ずかしげもなく、はっきりと。

「………………ら、らぶ……ウォーリア……?」

 棗は呆気に取られていた。戦士と言う部分は辛うじて認識出来たが、愛は理解の範疇を超えている。

「棗様も僕と同じ筈です。――貴方は弱者を守ろうと必死に闘っている。それは、彼らに対する愛情からなのでは無いのでしょうか。もしくは、彼らが安心して暮らせる平和を愛しているのではないでしょうか」

「…………」

 棗にとって、愛情かどうかは分からなかった。だが、彼らの平穏を守る為ならば、自分が犠牲になる事は厭わない。

「彼らを守る為ならば、幾らでも強くなれる。どんな痛みにも堪えられる。そう思うのであれば、棗様も僕と同じです」

「……そうかも、しれないな」

 静かに語りかけるツェーザルに、棗は頷いた。だが、棗の弱者に対する想いと、ツェーザルの主に対する想いが同じだというのならば、それこそ、力で解決する他なかった。
 魂に刻んだ誓いを折らせる方法は、無理矢理沈黙させるしかないのだ。棗が逆の立場でも、そうする以外に止められないと確信していた。

 そんな棗に、ツェーザルは歓喜を帯びた笑みを向けて、

「つまり、棗様もラブウォーリアということですね」

「それは断る」

 流石にそれは恥ずかしい。棗は声に出さずに呟いた。

「それは残念。……まあ、どちらにしても、僕らの道がぶつかり合ってしまった以上、戦い続けなくてはならないのでしょうが」

「…………退く気は、無いのか?」

「ありません」

 今度は、ツェーザルの方がきっぱりと否定する。

「それにね、棗様。僕は愉しいんです」

「愉しい……だと?」

 口元を釣り上げたツェーザルに、棗は背筋にざわつく何かが駆け上がるのを感じた。

「はい。僕はどんな敵からも御主人様を守れるよう、幾多の修行を積んで来ました。それがゆえに、他人よりも少しばかり高い強度の肉体を得たのですが、多少の痛みを痛みとは感じぬような体になってしまったのです」

 一般人がツェーザルよりも少しだけ弱い体だとしたら、自分の仕事は無くなるのだろうな、と棗は遠い目になる。
 ツェーザルはそんなことはお構いなしで、月光に照らされた端正な顔に、愉悦の表情を浮かべた。

「痛みとは無縁な生活が続いた所為か、新鮮なんですよ。骨が軋み、血管が張り裂け、指先が痺れるこの感覚が。――たまらなく、快感なのです」

 全身を駆け巡るぞくぞくとした感覚に、ツェーザルは満身創痍とも言える我が身を抱く。恍惚とした表情で身悶える彼の姿に、棗の思考は停止した。


「ききききき、きもいっす! ツェーさんキモイですぅぅぅ!」

「変態だ、変態だッ! とんだマゾヒストだ!」

 バルコニーの上では、アマリリスと澪が恐怖のあまりに抱き合っていた。二人とも涙眼で好き勝手に叫んでいる。

「……………………」

 一方、フリーズした棗の体に、一拍遅れて鳥肌が立った。

(……理解が出来ない。こんな相手は、ヒューマンでもネイティブでも見た事が無い。何故だ。何故あんなに心地良さそうな顔をしているんだ。血を吐いていただろう? 内臓も無事ではないだろう? 快感なんて言っている場合ではないだろう!
 ――はっ、もしかしてこれは、奴の作戦なのか!?)

 ハッとした棗は、頬に滴り落ちた汗をぐっと拭う。

「流石だな……ツェーザル=シュトライヒ」

 変態的な嗜好を持った人間と見せかけて、俺の油断を誘うとは。と、胸の中で呟いた。
 一方、ツェーザルはさっと姿勢を整えると、律儀にも頭を下げる。

「勿体ないお言葉で御座います」

 棗様もマゾヒストの気持ちを理解して下さるんですね。と心の中で喜んだ。想いが完全にすれ違っているようだ。






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