『コードゼロ』。 その単語を耳にした瞬間、忌まわしき事件が棗の脳裏に鮮明に蘇った。 かつて、神に匹敵する力――最強のコードシステムを完成させようとした者がいた。インベーダーの脅威に晒されていた人類を救おうとしたがための行動だったのだが、それが最悪の結果を招く事となる。 コードゼロの生成に失敗し、『混沌』をこの世界に呼び出してしまったのだ。 混沌は、世界の外側にたゆたう大いなる流れである。全てを飲み込み、全てを混沌の海の中に溶かしてしまうのだ。 呼び出された混沌は猛威を振るい、ありとあらゆるものを喰い尽していった。多くの人間の人生を一瞬にして奪っていった。 その場にいた棗は、直にその肌で感じ取ったのである。 それは、とてもではないがヒトが扱える代物ではないという事を。 「コードゼロを……呼び出すだと? ツェーザル、お前も記憶に新しい筈だ。多くの犠牲者を出した、カオティックインパクト事件の事を思い出せ!」 その事件の真実は、コードゼロを生成しようとした組織の力で闇に葬られてしまっている。棗自身も進んで明かそうとは思わなかったが、今はそうも言っていられなかった。 「あれは、コードゼロを作り出そうとした末の結果だ。コードゼロを生成するには大規模な装置と精巧な技術が要る。お前には、それがあるというのか!?」 巨大な組織がようやくシステムを完成させたというのに、個人がそれを実行するなど夢のまた夢であった。 だが、棗はツェーザルの言葉を一笑であしらう事が出来なかったのである。彼のヘテロクロミアの瞳には、ある確信が宿っていたのだ。 「棗様がご存知のコードゼロはそうなのでしょう。ですが、僕が行き着いたコードゼロは違う」 「どういう……意味だ?」 胡乱な声を漏らす棗に、ツェーザルはくっと口元を笑みで歪めた。 「神に匹敵する力。如何なる願いも叶えてくれるもの。最強のコードシステム。――それが、コードゼロだという事は、ご存知ですね?」 まるで詩でも詠うかのような柔らかい旋律に、アマリリスと澪は吸い込まれるように聞き入っていた。彼らにとって、コードゼロの存在は初耳なのだろう。 「嗚呼、知っている。……世界の始祖たる混沌を変換した際に生まれる、膨大な魔力の事だということもな」 頷く棗に、ツェーザルは白い手袋をはめた人差し指を向ける。 「それ――なのですが、僕はこの場で初めて知りました。……このように、コードゼロと一言で言っても、様々なのです」 「…………」 棗は無言でツェーザルの仕草を見つめる。整った容姿としなやかな体躯が奏でる動作は、全てが演技のように見えてしまう。まるで、彼一人が舞台の上で語っているかのようだった。 現実離れした雰囲気を纏いながらも、彼は続く言葉を紡ぎ出す。 「神に匹敵する力を持ちながらも誰もが使う事の出来るもの。そして、最強のコードシステムと呼ばれる伝説の存在。それが、コードゼロなのです。――ただしそれは一つではない。何がコードゼロになるかは、それを掴もうとする者次第ですから」 「つまり、お前はお前の遣り方でコードゼロを入手する、と?」 「はい」 きっぱりとした返答と、あまりにも爽やか過ぎる笑顔。それが、棗の不安を掻き立てる。 「…………お前は、どうやってコードゼロを手に入れるつもりだ」 ざわざわとした感覚が棗の胸を支配していた。ツェーザルの唇が動く度に、締め付けられるような錯覚が彼を襲う。 「儀式魔法により、魔神『ロベニス』を召喚します。魂と引き換えに、召喚者が欲する知識を与えるという魔神の力を借り、御主人様の為にコードゼロを入手してみせましょう」 「ろ、ロベニスですって……!」 アマリリスの声が裏返った。 「魂を代償として知りたい事を教えてくれる魔神……。確か、欲する知識が難解であればあるだけ多くの魂を必要とする筈よぅ! 今聞いた限りだと、コードゼロの入手法なんて言ったら……」 「どれだけの人間が犠牲になるか……」 澪もまた拳を握り締める。その拳に込められたものは、恐るべき計画を秘めたツェーザルへの畏怖と、 「分かっているのか! とてもではないが、人の考える事とは思えないッ!」 怒りだった。我を忘れて今にも掴み掛らんと踏み出すが、棗の手に制止される。 「御主人様の為とあらば、人の道など何の価値もありません。儀式の犠牲になる方々へのご冥福、ここでお祈り致しましょうか」 飽くまでも貼り付いた笑みを崩さないツェーザル。だが、ひゅっと風を薙ぐような音が聞こえたかと思うと、その喉元に剣先が突き付けられた。 「何のつもりですか、棗様」 「……ツェーザル。お前は、その意志を曲げるつもりはないんだな?」 ツェーザルはふと肩を竦めるような気配を見せたかと思うと、執事服の裾を翻した。キィンという金属音が響き、蛇腹剣の刃は空中にうねる。 「無論、そのつもりです。全ては覚悟の上」 繰り出された斬馬刀は口元を釣り上げて笑むツェーザルと、その様子をゴーグル越しにねめつける棗の姿を映し出していた。 「ならば、バニッシャーとしてお前を倒す。これ以上、力無き者が恐怖の日々を過ごさぬためにも!」 棗が咆哮したその瞬間、戦いの火蓋は切って落とされた。 |