「………………」

 その様子を見ていたアマリリスは、顎が外れんばかりに口を開いていた。開いた口が塞がらないというのはこの事なのだろう。棗のパンチの壮絶さに我が目を疑ってしまった。

 それでも何とか身体だけは動かし、気を失っている澪の方へと移動する。澪は目立った外傷はないが、壁に叩きつけられた所為で打撲をしているかもしれない。

「……う……ん」

「澪っち、気づいたの!?」

「ん……あ、ああ」

 澪は薄眼を開いて辺りを確認する。

「なんだ……この有様は。お前がやったの、か?」

「棗さんが来てくれたのよぅ。そして今、その、なんか凄いパンチでずごーんって」

 パタパタと手を振って必死にジェスチャーをするアマリリスに、澪は眉間を揉んだ。

「……すまん、よく分からない」

「え、えっと、もう大丈夫ってこと!」

 ツェーザルは澪の時とは比べ物にならないほどの威力で壁に叩きつけられたのだ。無事では済まないだろう。あとは、彼から詳しい事情を聞くのみである。

(まさか、棗さんがあんな力を隠し持ってるとは思わなかったけど……)

 棗のコードは強化型ではなく結界型の筈だ。つまり、あの力はコードを使ったものではなく、棗自身の力であるという事なのだ。

「…………」

 人間離れしている。

 アマリリスはその言葉を飲み込んだ。この言葉を認めてしまったら、棗が自分の知っている棗ではなくなってしまうような気がした。
 カランという瓦礫が落ちる音に、アマリリスは身体を震わせる。そっと音の方に目をやると、白い靄の向こうに闇色の影が浮かんでいた。

「棗……さん?」

「アマリリス、遅れてすまなかった」

 ゆっくりと退いて行く靄の間から現れたのは、いつもの棗であった。ゴーグル越しで申し訳なさそうに目を伏せる棗に、アマリリスは思わず顔を綻ばせる。

「大丈夫よぅ。ちゃんと肝心な時に来てくれたじゃん! ――それより、あの人は?」

「……手加減が出来なかった。恐らく、気絶しているだけだろうが……」

 そう言い掛けた棗の背後で、粉塵を纏いながらぬっと白い何かが現れる。ツェーザルの手袋だ。

「棗さん、後ろ!」

 アマリリスが悲鳴じみた声を上げるが、棗が振り向くより早く、ツェーザルの手が棗を捕らえた。

「ぐっ……!」

 振りほどこうとする棗だが、ツェーザルの腕はまるで拘束具のようにきつく、棗の身体を背後から抱くようにして離さない。とても人間の力とは思えぬほどの怪力であった。

「お待ちしておりました、棗様。寧ろ、こちらから出向こうと思っていたところです」

 ツェーザルの指先が棗の胸元を這い、囁きと共に漏れる吐息が耳に絡みつく。

「……っ! どういう、意味だ……!」

「貴方の話、そして、先程の様子を見て確信しました。貴方こそ、御主人様の肉体を作り上げるフィニッシュに相応しいと」

「肉体を……作り上げる?」

 棗達の脳裏にボーンコレクター事件の情報がフラッシュバックする。
 集められた骨は人間一人を構成する程のものだ。それは、ツェーザルの言う『御主人様』とやらを宿す体を作り上げるためのものだったのか。

「その……肉体とやらの素材にするために、人間を吟味して襲っていたわけか……!」

 澪は壁にかかりながら何とか立ち上がるが、軽い脳震盪を起こしているらしく、視界がぼやけて二人を捉えられない。アマリリスもまた、我を忘れたかのように聞き入っていた。
 ツェーザルは口元を釣り上げて微笑むと、

「はい、その通りです。御主人様の肉体を構成するのは、善なる魂の持主の一部でなくてはいけません。――随分と苦労しましたが、御主人様の為を思えば何という事も御座いません」

「馬鹿な。その主とやらが何者かは分からないが、人々を襲い、未来を奪った罪は重い……! 自分がした事が分かっているのか、ツェーザル=シュトライヒ!」

 吐き捨てるような棗の言葉に、ツェーザルの表情がふっと消えた。胸元に吸い付いていた指をひたひたと上らせ、棗の喉元をするりと撫でる。まるで蟲に這われているような感触に、棗は思わず身を震わせた。

「分かっていますとも。僕の罪は酷く重く、そして、深い。手をかければかけただけの業を背負わなくてはならないことも、十分に理解しています」

 柔らかくも静かで、されど、低く冷たい声色に、その場にいた誰もが動けずにいた。ツェーザルのヘテロクロミアの瞳には確かな自我があり、正気であることを示している。
 だが、正気を保ちつつも、狂気的な行動に走るというのは、余程の覚悟が無くては出来ない筈だ。

「ですがそれらは、御主人様の前では取るに足りないこと。僕は御主人様の為になら、犬だろうが道具だろうが、何にだってなれる」

 その言葉に、棗はハッとした。次の瞬間、

「棗さぁん!」

 アマリリスの悲鳴と共に、棗の首筋に熱が走った。






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