澪にとって、ツェーザル=シュトライヒとの戦闘は計算外だった。まさか、一糸乱れぬ執事服に身を包んだ優男が虚空から長刀を取り出し、自分達に襲いかかって来るだなんて誰が予想しただろうか。 だが、少なくとも低級インベーダーに関しては黒である事は間違いない。棗が言ったとおり、ボーンコレクターの件と関係あるのだとしたら、ツェーザルを抑え込めば真実に近づくだろう。 問題は、それが出来るかどうかという話だった。 先程の一撃は澪とアマリリスの背後の床を深く削り取り、無残にも切り裂かれた床板から床下を露出させている。斬馬刀の間合いの外にまで攻撃が及んでいるところからして、剣圧で斬ったのだろう。 澪の頬にやけに冷たい汗が伝った。 「すぐに黒幕の元まで辿り着けると思ったんだが、とんだ番犬だ……!」 「御主人様のもとには行かせません。何人たりとも、ね。――それよりも、今、『犬』と仰いましたか?」 ふっとツェーザルの微笑が途絶えた。澪は思わず心臓が口から飛び出そうになるのを堪えた。 (失言だったか……!?) 無駄に相手を怒らせるのも得策ではない。相手の気を鎮めんと、策を巡らせ始めようとしたが、 「良い響きだ……。僕の事は、犬と呼んで下さって結構ですよ」 寧ろ、推奨します。と言わんばかりの口振りと、うっとりとした表情が、澪とアマリリスの思考を白く塗り潰した。ぷつぷつと全身に鳥肌が立つのが分かる。 「みみみみみみみおっちぃぃぃ……! こ、この人、イケメンだけどキモ怖いよぅ!」 「安心しろ、俺もそう思ってる……!」 涙眼で縋りつくアマリリスと、思わずそれを抱き締め返す青ざめた澪。ツェーザルは相変わらずの笑顔を貼り付けて、否、微笑ましさすら感じているだろう表情で二人を見つめていた。 「さてさて、このまま他愛のないお話に興じていたいのですが、そろそろ時間ですしね。早めに決着をつけなくてはなりません」 ツェーザルはふと、廊下の向こうに視線をやるが、すぐに二人に戻す。携えた斬馬刀を担ぎ上げたかと思うと、 「では、排除させて頂きます」 刃物よりも鋭い声が、エントランスホールに響いた。 振り下ろされた斬馬刀は床を切り裂き、木っ端微塵になった床片を巻き上げる。風が剣となり、床を喰らいながら澪とアマリリスに襲いかかった。 「ひっ……!」 容赦なく破壊の牙を奮いながら迫りくる斬撃に、アマリリスの足は竦む。石のように固まってしまった彼女の体を、澪が体当たりで突き飛ばした。 「アマリリス、一時撤退だ。あの男と俺の術では分が悪い!」 「で、でも、私の魔法ならなんとか……っ」 「足を竦ませている奴が何を言っている!」 目標を失った斬撃は扉に激突し、豪奢な造りの扉を粉砕した。開けた時の重さからして、決して脆くはなかった筈だ。 もう夕方になってしまったのだろうか。扉を失った出口からは、オレンジ色の光が差し込んでいる。 「走れ、アマリリス。そして、棗を呼んで来い」 「分かった……! でも、澪っちは?」 「俺は時間を稼ぐ。あいつが見た目どおり人間(ヒューマン)だとしたら、俺の術は殆ど効果をなさないが」 澪の術は、理から外れた者には効果絶大だが、それ以外の者には蚊に刺された程度にしか感じられない。それでも、 澪にはアマリリスの役割と自分の役割を変えるつもりはなかった。 「これ以上、俺達はあいつから奪うわけにはいかない……」 戸惑いながらも、「でも」と言いかけたアマリリスの背に手を添える。 そのまま、先へ行くようにと促そうとした、その時であった。 「作戦会議中、失礼致します」 絡みつくような低音が、耳元で囁いた。 「いつの間に!」 振り向いた澪がツェーザルの姿を捉えたのと、ツェーザルが斬馬刀を振り被ったのは同時だった。 刹那、巨人にでも殴られたかの衝撃が澪を襲う。澪は自分の身体がふっ飛ばされる寸前、アマリリスを出口に向けて突き飛ばした。 アマリリスは短い悲鳴をあげてゴロゴロと床を転がり、澪は壁に叩き付けられる。衝撃音が屋敷全体を揺るがせた。 「かっ……は……!」 澪の体はずるずると地に落ち、力無く地に伏せる。それでも、アマリリスに向かって言葉を紡ぎ出そうと、唇が動いていた。 「は……はや……く」 「わ、わかったわよぅ、澪っち! 直ぐに棗さんを呼んでくる!」 今にも泣き出しそうな顔をしながら、アマリリスは立ち上がる。震える我が身に鞭を打ち、箒にまたがろうとしたその時、ツェーザルがくるりと振り返った。 「どこに行かれるのです、御嬢様。御持て成しは済んでませんよ?」 壮絶な破壊力によって見るも無残な姿になっている屋敷を背景に、ツェーザルはにこりと微笑んだ。その笑顔が現場とあまりにも不釣り合いで、アマリリスは恐怖心が呼び起こされるのを感じた。 「いらないもん。澪っちに……友達に酷いことして……! イケメンだからって、許さないんだから!」 恐れる心を握り潰し、アマリリスが吼えた。溜まっていた涙が粒になって零れ落ちる。 「……とも……だち……?」 澪は薄れゆく意識の中で、その言葉を聞いていた。ひどく自分に縁が薄く、それでいて心地好い言葉に、思わず目頭が熱くなる。何とかアマリリスが逃げられるよう、時間を稼ぎたかったが、体がぴくりとも動かなかった。 涙眼になりながらも睨み付けてくるアマリリスを前に、ツェーザルの笑顔が一瞬剥がれる。そこから垣間見えたのは、恐ろしく冷たい瞳だった。アマリリスを映すヘテロクロミアの瞳は、道端の小石を捉えた程度の色しか湛えられていない。 「ひっ……!」 アマリリスの喉奥から悲鳴じみた声があがった。アマリリスは、未だかつてこんな目をする人間を見た事が無かった。 彼は果たして本当に人間なのだろうか。人間の姿をした別の種族なのではないだろうか。 コツンと近づく彼の足音は、まるで絞首台の階段を上る自分の足音のように錯覚される。得体のしれない恐怖の塊が、笑顔の美丈夫の仮面を付けて距離を縮める。 「御安心下さい。彼にはもう痛い事はしません。そして、貴女にもね」 刃には血が付着していない。よく見てみれば、彼は刃を逆に持っていた。澪への攻撃も、峰打ちだったのである。しかし、 「痛いのは一瞬だけです。気絶してしまえば、あとはもう目覚めない。――気を失っているうちに、致死量となるほど血を抜き取りますから。骨の一部を頂いた方たちのようにね」 アマリリスは己の耳を疑った。骨の一部という事は、目の前に居る執事が『ボーンコレクター』なのだろうか。 「骨の一部を貰ったって……。ボーンコレクターの被害者の事を言ってんのッ!?」 「ええ。他に何があるというのです?」 にこやかに返すツェーザル。手にした刃がゆらりと揺れた。 「御二人の骨は要りません。骨は既に揃えましたから。ですが、御主人様の障害となるのであれば、排除しなくては――」 「――ッ! 風の障壁!」 ツェーザルがアマリリスの頭上に斬馬刀を振り下ろすと同時に、アマリリスは構えた箒に風をまとわせる。ずんっという重々しい衝撃を受けながらも、刃を箒で受け止めた。 「ふぐうううううぅ……!」 「なんと。これは驚きました」 顔を真っ赤にしながら箒の柄を支えるアマリリスを見て、ツェーザルは驚嘆の声を上げる。それでも、貼り付けられた表情は執事が客人に向ける営業スマイルのままであった。 「私だって……戦士だもん! バニッシャーの……助手だものっ。一流のバニッシャーの助手は……一流の助手なのよぅ!」 ぎしぎしと箒が軋む。風は悲鳴をあげ、刃に削られるように虚空へ還って行く。 だが、アマリリスは全身全霊で踏ん張った。気を緩めれば押し潰されそうな程の物理的プレッシャーが彼女を襲うが、ツェーザルの一撃を受ける事をやめなかった。 「ならば、仕方がありません。多少手荒になってしまいますが――」 ツェーザルが溜息交じりにそう言ったかと思うと、不意に衝撃がアマリリスの脇腹を襲った。 「ふぐっ!?」 肺の酸素を無理矢理絞り出したかのような悲鳴をあげ、アマリリスの身体がゴムまりのように床に跳ねる。 「レディ相手に足技を使うのは気が惹けたのですが、致し方ありません」 今のが蹴りなんて嘘だ。車に撥ねられたかと思った。 アマリリスの言葉は、酸素を必死に取り込もうとする呼吸音にかき消される。その耳元では、何度聞いたか分からない死神の足音が近づいてくる。 コードを制御して魔法を放つ力は、もう自分には残されていない。だが、木片が転がる床に倒れながらも、アマリリスは手から滑り落ちた箒をしっかりと掴む。 「ま、負けないもん。絶対に負けないもん……!」 悔しさのあまりに溢れる涙の所為で、視界が曇ってよく見えなかった。それでも、死を運ぶ男を睨む眼光は衰えない。 アマリリスのすぐ横で、ツェーザルはぴたりと足音を止めた。 「御嬢様が負けたくないと思うのと同じように、僕も負けられない。失敗出来ないのです。僕を恨むのならば幾らでも恨んで構いません。ですが――」 布の擦れる音が聞こえた。斬馬刀を振り上げたのだろうか。 「ここで、排除されて下さい」 ひゅんと風を切る音がハッキリと聞こえる。アマリリスは、視界がぼやけているのにも拘らず、自分に振り下ろされる刃の一閃をハッキリと捉えた。 ここで死ぬのだろうか。酷く中途半端な幕切れだったな。 自分が居なくなったらどうなるのだろうか。エンシェントに生まれても魔法が使えないという落ちこぼれの自分に溜息を吐いていた両親は、泣いてくれるだろうか。 そして、棗は――。澪は――。 「棗さんはあんな性格だから気に病むだろうし、澪っちを死なせたくない! 排除なんてされるもんですか!!」 喉がはち切れんばかりの絶叫に、容赦なく襲いかかる刃。 次の瞬間、ギィンという耳障りな金属音と共に、その切っ先が弾き飛ばされた。 |