その屋敷は、十年前に廃墟となった。前の持ち主が何者なのか、家具が何故放置されたままなのか。それは誰も知らない。 ただ分かっている事は、誰も居ない筈の屋敷の窓に人影が映るという噂があるという事である。 何処にでも転がっていそうな変哲の無い怪談話だ。しかし、その目撃証言が増えたのは、ほんの数週間前からであった。若い男が屋敷を出入りしているという、怪談ですらない話も耳にしたくらいだ。 「いずれの証言も、ボーンコレクター事件の少し前からだ。調べてみる価値はあるだろ?」 澪はそう言うと、ライオンを模したドアノッカーを叩く。だが、沈黙が返ってくるのみであった。 「うーん、確かに……。目撃証言が本当なら、誰かが居る事は明らかだよねぇ」 アマリリスはドアノブに手をかけてみるが、ガチリという固い感触と共に鍵に阻まれた。露骨に顔を歪めながら手を挙げると、 「駄目駄目。しっかり鍵がかかってるわよぅ」 「想定済みだ。どいてろ」 懐から取り出した針金を手に、澪はアマリリスを押し退けた。それで鍵を開けようというのだろうか。 「おおー。澪っち、トレジャーハンターみたい」 「黙ってろ。…………それに、宝探しみたいに浪漫があるようなものじゃない。仕事で廃墟に侵入することもあるから、こういう事に慣れているだけだ」 「じゃあ、異形化した人間から逃れながら、孤島から脱出するゲームみたい。どう足掻いても絶望、みたいな?」 「なんだ、それは……」 澪は半目になりながらも、ガチャガチャと針金を差した鍵を弄る。二、三動作したかと思えば、小気味良い音を立てて鍵が外れた。 「すっごーい。澪っち、やるぅ! 棗さんの次に尊敬しちゃうッ」 「そりゃどうも。しかし、事あるごとに『棗さん、棗さん』って。お前は相当、あいつの事が好きなんだな」 呆れ半分の澪の言葉に、アマリリスは思わず目を丸くする。硬直した彼女の顔は、まるで茹蛸のようにみるみるうちに赤くなっていった。 「な、何言ってるのよ、澪っち! わ、私は棗さんの事をそんな目では……!」 「どんな目だ。単に、好意を持っているんだなと言いたかっただけだ。変な意味じゃない」 「あ、なぁーんだ」 あっけらかんとした顔で胸を撫で下ろすアマリリスを見て、澪は深いため息を吐いた。この短時間で表情をくるくる変えて疲れないのだろうか、とすら思う。 「私は、棗さんの事を尊敬してるんだ。どんな時も、戦う術を持たない一般人が平穏な生活を送れるように、体を張って頑張ってるの。通報があれば、どんなに夜遅くでも現場に駆けつけるし、無口なようでいて優しいし」 えへへ、と自慢げに笑うアマリリスの笑顔は眩しい。その眼には、棗に対する真っ直ぐな気持ちが込められていた。 「あれだけの力を持っているのに、決して驕ったりしないし。棗さんは、正に人類の宝よね」 「人類の……宝……」 鸚鵡返しに呟く澪に、アマリリスは首を傾げた。 「どうしたの、澪っち。変な顔しちゃって」 「……お前は、知らないようだな。『月詠』の事について」 「え……? 『月詠』って棗さんの名字だよね?」 澪の意味ありげな視線が、驚くアマリリスを貫いた。それが火種に、アマリリスの中の疑問が喉の奥から込み上げる。 「学園で会った時も思ったんだけど、澪っちは棗さんの事、何か知ってるでしょ。棗さんも棗さんで、何かを隠しているみたいだし」 「…………」 口を尖らせて捲し立てるアマリリスに、澪は思わず口を噤んだ。明らかに何かを隠している態度をとる様子に、アマリリスが更に詰めよろうとしたその時、ガタンという音を立てて扉が開く。 「――気をつけろ、魔女!」 澪の叫び声に、アマリリスは反射的に飛び退いた。 刹那、彼女の目の前に黒い影が過る。 「わひゃあ!?」 飛び出して来たのは人のような形をした影――低級インベーダーだった。目標を失って庭木にぶつかったそれは、溶けるように消えていく。 「形にすらなれないなんて、低級の更に下のインベーダーだよ。なんかもう、雑魚以下って感じ?」 魔女帽をきゅっと被り直すアマリリス。その視線は扉が開け放たれたままの屋敷の中へと移される。 赤い絨毯が諸手を広げて二人を迎え、シャンデリアが静かに見下ろしていた。廃墟だという事を忘れてしまいそうなほどに手入れがされており、人がいる事は明らかであった。 広いエントランスホールの端で、ゆらりと何かが揺れ動く。不鮮明なシルエットは、先程の低級インベーダーと同タイプの者である事を物語っていた。 「一体、二体……ざっと見ただけでも五体はいるな。インベーダーの巣ってわけか」 「あ、ううん。あれを見てよぅ!」 アマリリスが指した先は床だった。光源が外界の光のみだという所為か、靄のような影が落とされている。 「…………いや、あれはッ」 澪は思わず声を上げた。 絨毯の上に落とされた淡い影は、あっという間に塗り潰したように濃厚になる。それどころか、影の中からずるりと何かが這い出して来たのだ。 その姿こそ、正にシルエット状態の低級インベーダーであった。 「あれ、異世界から勝手にこっちに出て来てるの。それがたったこれだけの空間で、これだけの数が出現しているという事は、この屋敷の中の歪みが酷いってことなのよぅ」 「異世界とこの世界の境界が曖昧になっているという事か?」 「うん。だから、普段は世界を渡れないような奴がこっちに来れちゃうけれど、こっちの世界に適応する術が甘いから、あんな姿で現れるの」 残るのは侵略者としての欲望と元来の本能だけであった。それこそ、消滅するまで際限なくこの世界を蹂躙し続ける事だろう。 だから、見つけ次第に屠らなくてはいけないのだ。 「なんでこの屋敷がそんな状態になってるか分からないけど、どうにかしないと!」 箒を構えるアマリリスであったが、澪の手がそれを制止した。 「待て、魔女。ここは俺に任せて貰おうか。怪異は俺の専門だからな」 「で、でも、あれはインベーダーよぅ。お化けじゃないもん」 「お前、全ての怪談の原因が幽霊の類だと思ってるんじゃ無いだろうな。言っておくが、インベーダーやネイティブが関わっていた例の方が多いんだぞ。それに、怪異を探っていくうちに、ああいう連中と遭遇する事は少なくない。……今回は流石に、数が多いがな」 言葉とは裏腹に、ひょいと肩を竦める澪の表情は平然としたものであった。「でも……」と言葉を紡ごうとするアマリリスを無視して、エントランスホールに足を踏み入れる。 堂々としたその態度は、とてもではないが不法侵入者とは思えない。気配を殺さぬ闖入者に、低級インベーダーは一斉に注目した。その大半は目が無いのにも関わらず、視線は二人に突き刺さる。 「ふん。そんな姿のクセして、自己主張は立派なものだ。――だが」 新たに現われた影を含め、室内にいる全てのインベーダーを視線で追う。一体一体を認識し、脳内に鮮明に刻みつけていった。 「お前達の居場所は、ここじゃない」 最後のインベーダーの存在を脳裏に叩き込むと、澪は両手で印を切った。真似しようにも出来ぬほど複雑且つ迅速に、そして、確実に力を組み上げていく。 自分と相手の間に張り巡らせた魔力の糸。印が組まれる程に因果が深くなり、呪術の力が増幅する。 「――去れッ!」 力ある言葉が響くと同時に、影が弾けた。 まるで強力な言霊を放ったかのような衝撃が、エントランスホールを駆け巡る。風が無いのにもかかわらず、アマリリスの魔女帽が揺れた。 「す、すごい……」 魔女帽を押さえながら恐る恐る目を開けたアマリリスが見たのは、文字通りインベーダーの影も形もないエントランスホールだった。 耳が痛くなるほどにしんと静まり返ったその様は、先程の様子が嘘のようである。 「い、今、何したの!?」 「この世界の理(ことわり)から外れた者を消し去る術を行使しただけだ。俺の術は場の正常化――退魔や浄化の術と言えるか」 「だけって……。すんごい魔法じゃん!!」 アマリリスは興奮のあまりに鼻息を荒くしながら、澪に尊敬の眼差しを送る。キラキラとした視線を受けた澪は、むず痒いような気分になって視線をそらした。 「魔法と呼ばれると、違和感があるな。……これは古くから伝わる呪術だ。とは言え、長い時間を経た所為で、形式は随分と変わっているが」 「呪術かぁ。そう言えば、棗さんのコードも呪術がベースなんだよね。呪符を媒体にして発動させるんだけどさ」 アマリリスは、「こうやって投げるの」と呪符を投擲する様子を真似てみせる。思いっきり振り被る彼女の様子を眺めながら、澪がぽつりと呟いた。 「月詠の一族は、呪術に対しての……いや、古い術に関しての知識が深い。あの男がそのコードを選択したのも納得がいく」 「そなの? でも、エンシェントじゃないんだよね?」 「そう、エンシェントじゃない。月詠の一族は……」 澪が言葉を紡ぎかけようとしたその時、カツンという靴音がホールに響いた。 |