海風は鬩(せめ)ぎ合うビルの谷間を通り、臨海都市シティホライズンに潮の香りを届ける。 頭上を望めば、ビルの向こうに広がった空を抱く事が出来た。 数年前まで空に張り巡らされていた電線は、今や鉄道と共に地下に潜り、影も形もない。人々は空に近づこうとするかのように高いビルを建て続けるが、手を伸ばすほどに遠くなっているような錯覚に包まれる。 シティホライズンを包む空は、憂いを帯びるかのように重く垂れ込めていた。 濁った灰色の雲が鎮座しており、今にも雨を降らせそうである。 そんな天気でも、駅前の繁華街は人で溢れており、多くの人間の雑踏に満ちていた。その足音一つ一つに喜びがあり、悲しみがあり、怒りがあり、人生があるのだろう。 様々な想いを抱く人々だったが、ただ一つ、現代に生きる人々が持つ共通の感情がある。 それは、『恐怖』であった。 何ということもない平和な日常の裏。そう、正に人通りのない裏通りにて、それは繰り広げられていた。 裏通りには雑居ビルが立ち並んでいるが、いずれも空き部屋が目立つ。その閑散とした空気を切り裂いたのは、獣のような者の悲鳴と鋭利な金属音であった。 「FSYAAAA!」 影がビルの壁に突っ込む。きりもみ状態で飛ばされたそれは、黒い四肢を持った犬のようであった。だが、犬もどきであるだけで、犬とは断言出来ない。何故なら、背中に犬には生えていない筈の翼があるからだ。 翼を持った犬もどきは、首筋からどす黒い血を流して悶絶する。その目の前に、コツンと冷えた足音が響いた。 まるで、致命傷を負った犬もどきに死刑の宣告をするかのように。 「低級の闖入者(インベーダー)か。それでも、戦うすべを持たぬ者には充分な脅威になる。――よって、お前を排除する」 闇を背負って現れたのは、漆黒のロングコートに身を包んだ青年だった。顔半分を覆うほどのゴーグルをかけており、表情らしい表情は窺がうことが出来ない。だが、ゴーグル越しでも双眸に宿る強い意志を窺う事が出来た。 息も絶え絶えな犬もどき、否、インベーダーに一歩、また一歩と近づく青年。その右手には血が滴り落ちる蛇腹剣が握られている。鞭のように身をしならせ、近距離から中距離の敵を仕留めるというそれは、標的を容易に逃がさない事を示していた。 青年はインベーダーにとどめを刺すべく蛇腹剣を振り被る。その瞬間、地に伏せていたインベーダーが飛び出した。蛇腹剣の刃は壁を薙ぎ、インベーダーは青年の頭上へと飛び立つ。 最後の力を振り絞っての逃走か。だが、ビルを越えようとしたその瞬間、満身創痍の体にカマイタチが襲いかかる。 「GUAAAAAA!」 断末魔の悲鳴とともに、インベーダーの体は地に落ちる。二、三度痙攣した後、その体は影のように形を崩し、地面に染み込んで消滅した。 青年は蛇腹剣を鞘に収める。風がみどりの髪を撫でたかと思うと、箒に乗った魔女服の少女が空からふわりと舞い降りた。 「ふー、お仕事終了、かな? 駅前の方に出さずに仕留められて良かったね、棗さん」 「お前もご苦労だった、アマリリス。奴の特徴は目撃情報と一致していた。この辺りのインベーダーの除去はこれで終わりだろうな」 「やったー! 早く事務所に帰ろうよ。棗さんにレポートを手伝って貰いたいし!」 「………………」 青年――月詠(つくよみ)棗(なつめ)は、ゴーグルの下で呆れたように半目になった。あまり感情を露わにしない精悍な顔に、どっと疲れが宿る。 だが、そんな事も知った事かと言わんばかりに、赤髪の少女アマリリスは箒にまたがったまま、くるくると空中を旋回していた。 まるで闇を体現したかのような長身の青年と、おとぎ話に出てくるような魔女の格好をした少女。その奇妙な組み合わせの二人は、異世界から来訪したインベーダーというモンスターを倒すべく動く、『バニッシャー』であった。 十五年前までは、異形の来訪者たるインベーダーなど殆ど目撃されなかった。だが、ある事件をきっかけに異世界との境界が失われ、『魔法』の力を持つ驚異の魔物が現れるようになってしまったのだ。 それが、人々の『恐怖』を引き起こしている。 世界を蹂躙するインベーダーに抵抗出来ぬ日々が長く続いた。それでも、希望を失わなかった人々が魔法を疑似的に復活させる事に成功したのだ。 それが、エンブリオカンパニー製の対インベーダー兵器、『コードシステム』であった。 先程、アマリリスが放ったカマイタチも空を飛ぶ箒も、コードシステムに積まれた風の魔力を操る『コード』によるものである。 コードシステムを駆使してインベーダーと対抗するバニッシャー、そして、政府公認の対インベーダー部隊――人類平和維持機構『HPO』の結成が人類に希望を齎(もたら)した。 だがそれでも、一般人にとってインベーダーが脅威である事には変わりがない。 だからこそ、棗は戦うのだ。アルバイターとして雇われつつも、助手であるかのように棗を手助けするアマリリスと共に。 「しかし、今回も違ったな……」 犬もどきのインベーダーが消滅した場所を眺めながら、棗は呟いた。アマリリスはぴょんと箒から飛び降りると、首を傾げる。 「例の猟奇事件の犯人のこと? んー、犯行に使われた凶器は刃物だったって言うけど、棗さんを見るなり牙を剥いて襲ってきたから、違うかなぁ」 「嗚呼。しかし、最近、低級のインベーダーの出現率が上がっている。その時期と、例の事件が起きた時期が一致するんだ。インベーダーが犯人でなくとも、少なからず、何らかの形で関わっているだろう」 恐らく。と棗は付け足す。 二週間ほど前、シティホライズンのとある駅前で男性の遺体が発見された。死因は、鋭利な刃物で首元を切り裂かれたことによる失血死だとされている。 それだけならば、通り魔かインベーダーかという話になるのだが、ある一点において、とてつもなく異常であった。 被害者の骨の一部が、抜き取られていたのである。 しかも、似たような事件が他の都市でも起きており、同一人物の犯行ではないかと言われている。 人々は『それ』を、『ボーンコレクター』と呼んでいた。 「猟奇事件というより、怪奇事件だよね。犯人は未だ、この街に潜伏してたりするのかなぁ」 「さあな……。いずれにせよ、力無き者の平和が脅(おびや)かされるのであれば、消し去らなくてはなるまい」 棗は戦う術を持たない一般人を守ることにおいて、強い使命感を持っていた。その為であれば、我が身の犠牲も辞さないというのである。 その決意の固さは、彼の背中が物語っていた。若いながらも広く力強く、包容力のある背中。アマリリスはそんな棗の背中を見るのが好きだった。 現場から立ち去ろうと踵を返す棗に続くべく、アマリリスも箒を片手に歩き出すが、 「ふぎゃっ!」 少女らしからぬ悲鳴が漏れた。前を歩いていた棗が、いきなり歩を止めたのだ。 「ど、どうしたの、棗さん。何か変なものでもあった?」 鼻を押さえながら、棗の背中からひょっこりと顔を出すアマリリス。すると、棗達の目の前――表通りに面したビルの谷間に、男が立っていた。 |