人の姿に戻った棗が、光の中で横たわるエンブリオの体を抱く。気を失っているものの、胸は規則正しく上下に動いている。同じ気持ちでいながらも道を違えた相手を、まるで壊れ物のように丁寧に抱き抱えた。 すると、 「棗さん」 「アリス……」 唐突に目の前に現れたのは、青髪の少女だった。その瞳に迷いや憂いは無く、ただ、安らかだった。胸がぎゅっと締め付けられる感覚に、棗は表情を歪める。 「棗さん、有り難う。棗さんの優しさ、嬉しかった」 「俺は、優しいわけではない。ただ、誰かが喪失の悲しみを背負う事を、避けたいだけだ」 「それが優しいんですよ。見返りを求めず、他人の為に尽くすなんて、そうそう出来る事じゃないと思うんです」 アリスは眉尻を下げて苦笑を漏らしながら、「でも、助けてあげた人の事は出来るだけ覚えていてあげて下さい」と付け足す。申し訳なさそうな顔をしながら、棗はエンブリオに視線を落とした。 「私は棗さんが大好きでした。そして、これからも大好きです。だから、棗さんは棗さんのままでいて下さい。誰かのためにだけ戦うのって、棗さんにしか出来ない事だと思いますから」 棗は冷静だが、その奥には熱いものを秘めていた。物静かなようでいて、頑固なほどの信念を持っていた。 アリスはそんな棗を見つめながら、柔かく微笑む。その姿は徐々に希薄になり、白い光と同化していく。 「じゃあね、棗さん。また、会えたら良いですね」 「アリス、俺は……!」 棗の手がアリスに触れようとした瞬間、彼女の姿はパッと光の粒子となって散っていった。白く淡く優しい粒の一つ一つが、棗との別れを惜しむかのように消えていく。 「俺は……」 棗は施設の下層に立っていた。腕にはエンブリオ、己の傍らにはエニグマが立っている。顔を上げれば、二本の尖塔が聳え立っていた。そこには渦巻いた混沌も無ければ、アリスの姿も無い。 「ゲートは閉じられたようですね。アリスが眠っていた力に目覚め、自らの存在と引き換えに混沌を押さえ込み、ゲートを閉じたといった所でしょうか……」 その答えを持っている者は、この場にはいない。棗はエニグマの言葉を聞いているのか否か、物言わぬ尖塔を見上げて立ち尽くす。 「アリス、俺はお前に何が出来たのだろうか……」 「何を仰います。あの子の存在を認め、繋ぎ止めたのは貴方でしょう? 貴方があの子の心を開いたからこそ、あの子は覚醒出来たのだと思います」 「……だが、アリスを犠牲にしてしまった。そうしなくてはいけなかったとは言え……」 棗は喉の奥から出掛かった言葉を飲み込む。それを言ってしまったら、感情が止め処なく溢れ出してしまいそうだった。 「俺はまた、失ったのか……」 代わりに出てきたのは、そんな言葉だった。エンブリオの体をそっと下ろして壁に凭れさせると、魔法や蹄の跡が残る尖塔に歩み寄る。エニグマの位置から棗の表情は見えないが、その背中は悲しんでいるようにも見えた。 「棗……」 「…………。……俺は剣だ。剣に感情は無い」 返って来たのはあまりにも無感情な声だった。全ての感情を押し殺し、己すらも殺した男の背中を見つめながら、エニグマは囁く。 「戦いが終った後くらいは、ヒトに戻っても構わないのですよ、棗」 ちらりと視界の隅に白いものが降りて来た。雪か、それとも羽根かと見間違えるほどに純白の温かい光の粒が、天井からゆるやかに降り注ぐ。 それはエンブリオプラントを、混沌が飲み込んだ工業地区を、そして、絶望に満ちた街を包み込んでいった。 Aliceプログラムは消滅、それに伴いコードゼロを生成する事は当面の間不可能となってしまった。だが、パンドラの箱に残った希望の光のように、それはその日の間、いつまでも降り続けていた。 その間、棗はずっと尖塔を見つめていた。エニグマはその胸中を無理に推し量ろうとはせず、背中をそっと見守っていた。 揺ぎ無い正義の心を持った青年の心が折れぬように。その先に、希望が待っているようにと祈りながら。 |