バチッ!という不吉な音が揺らいでいた魔法陣の上を走る。空間が軋み、四人の胸に不安と悪寒を過ぎらせた。

「何だッ? ゲートは未だ開いていない筈……!」

 本来は、Aliceシステムを作動後に混沌界へのゲートを開く事になっている。ゲートを開くにはプラントのエネルギー全てを消費するほどのパワーが必要な為、コードゼロの生成が確実に可能になったと判断するまでは触れないようにしていたのだ。
 だが、Aliceシステムが停止したにも関らず、計器はゲート開放――異世界との繋がりの開始を示している。

「エンブリオ、どうした!」

「分らない! システムが勝手にゲートを開こうとしているッ! くそ、志藤アキツめ!」

 計器が埋め込まれた壁を殴りつける彼女の一言を、エニグマは聞き逃さなかった。
 だがそれも、プラント全体を揺るがす激しい揺れと共に掻き消される。地響き、否、空間全体が振動し、コードと機器が張り巡らされた壁を容赦なく揺さぶった。
 魔法陣は原形を留めぬほどに歪み、バチバチと耳障りな音を立てて周囲に魔力を飛び散らせる。電撃となった魔力が空間を無茶苦茶に引き裂いた。

「魔力が安定してない……。今すぐゲートを閉じなさい! このエネルギー、ただ事では御座いません!」

「今やっている! だが……ッ」

 刹那、バチュンと魔法陣が弾けた。光の粒子が飛び散ると同時に、場の空気がガラッと変わる。まるで丸腰で宇宙に放り出されたかのような不安感と浮遊感がその場に居る者達を包んだ。

「――っ! 繋がった……」

 バルコニーで機器を操作していたエンブリオの姿は、絶望的な声を最後に掻き消えた。両者の間から、霧が溢れ出したのである。

「エンブリオッ!」

 棗は思わず手を伸ばすも、届く筈がなかった。
 立ち込める霧はただの霧ではない。先を窺う事が出来ぬほどの漆黒、だが、棗が有する安らぎの闇ではなく、全ての境界を掻き消して飲み込む闇の色であった。まるで意思を持つかのように施設全体をゆっくりと侵食し、少しずつその闇を広げていく。

「棗さん、エニグマさん……」

 アリスが唇を震わせていた。蒼白の顔色で漆黒の霧を見つめている。
 棗は彼女を落ち着かせるように、そして守るように肩をそっと抱いた。

「どうした、アリス?」

「『これ』は……混沌界を漂う情報と魔力の一端……。この世界でのよりしろを、エンブリオさんを狙ってる……!」

「何ですって……ッ」

 珍しく声を裏返したエニグマ。彼は間髪を入れず指先に魔力を集中させると、壁となっている霧目掛けて封印の魔法を解き放つ。聖焔は複雑な魔法陣となり、不定形な霧に魔力を刻み込んだ。

「エンブリオ、逃げろ!」

 エニグマに合わせて放った棗の呪符が封印の魔法陣に重なる。魔力が上乗せされた事により、その威力は倍以上になって相手の動きを封じる――筈だった。

 しかし、両者の魔法に手応えはない。ゆらりと霧が揺れたかと思うと、魔法陣と呪符をずぶずぶと飲み込んでいくではないか。

「な……! 地下のイレギュラーと同じだというのかッ」

「いいえ、あのイレギュラーは単純な攻撃を飲み込んだに過ぎません。ですが、今は相手を抑えこむ為の魔法すら飲み込んだ……」

 続く言葉が見つからなかった。この様子だと、エニグマの聖焔を持ってしても相手に決定打を与える事は叶わないだろう。

「どうしよう……。このままでは、プラントどころか街にまで……。まさか、混沌界に少し触れただけで『あんなもの』がこちらに溢れてくるなんて……!」

「アリス、あれは何なのかご存知なのですか?」

 エニグマの問い掛けに、アリスは涙で瞳を潤ませながら頷いた。

「混沌界とは、世界と世界の狭間を満たす情報と魔力の海の事です。そこを漂っていた情報集合体――言わば、私のような……ううん、私よりもずっと巨大で強力で、多くの情報を持った者……。それが、『あれ』なんです」

 既に壁一面を闇一色に塗り替えたそれは、招かれざる闖入者である事を体現していた。棗とエニグマの細胞の一つ一つが警鐘を鳴らし、目の前に居るそれがこの世界に存在してはならないものである事を必死に伝える。

 揺らめくそれを見つめていると意識が持っていかれそうになるのを感じて、二人はさっと目をそらした。

「過去最悪のインベーダーにして、史上最高の情報体。それが、コードゼロの元になる筈だったもの――『混沌の賢者(カオティックワイズマン)』なんです!」

 その名を呼び始めたのは果たして誰なのか分らないが、カオティックワイズマンと呼ばれた霧は、アリスの声に応えるように揺らめいた。






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