ゲートクロス事件が起きて以来、世界は酷いものであった。インベーダーが引き起こす事件が昼夜放送され、ニュースキャスターが死傷者の数を読み上げるのは日常と化していた。
 何処かの国では、インベーダーを始末するために現場となる都市を犠牲にして核ミサイルを撃ったのだという。無論、都市は壊滅。それでも、インベーダーは生き残ってしまった。

 様々な世界からやってくる所為か、彼らの能力は様々だった。
 一般人が鈍器一つで対抗出来るほどに脆弱な者も居れば、如何なる化学兵器を用いても倒せない者も居た。そういった者は、元の世界へと還るまで息を潜めて待つしかない。異界論を研究している学者が言うには、この世界は魔力が希薄なので魔力界に依存している者は住み難いらしい。

 エナ=エンブリオの父親もそんな研究者の一人であった。ゲートクロス事件が起こる前から魔法を研究していたのだ。
 一般的には、魔法など物語の中でしか残されておらず、エンブリオの父親は周囲から散々変わり者扱いされていた。だが皮肉なことに、ゲートクロス事件によって研究の成果は実を結ぶこととなる。異世界の魔力が流れ込むことによって、魔法の研究が捗るようになったのだ。
 インベーダーに対抗する兵器が出来るかもしれない。
 そんな希望が見えた矢先の事であった。エンブリオ達の街がインベーダーの襲撃を受けたのは。


 街に現れたのは二階建ての家に手が届くほどの一つ目の巨人だった。飢えた彼らは家を壊し、店を薙ぎ払い、手当たり次第に臼歯で磨り潰し、胃の中へと納めていった。食べ物も動物も、人間も全て。
 平穏な街は一転し、阿鼻叫喚が響き渡る。
 エンブリオは父が待つ研究所のシェルターに向かおうと走っていたが、その途中で、泣いている少女を見つけた。
 幼い少女の周りに保護者の影は無く、はぐれてしまったのだろうと悟った。巨人の足音は直ぐそこまで来ていたが、エンブリオは少女を見捨てておく事も出来ず、そっと手を伸ばす。

「ここに居てはいけない。私と一緒に行こう。お父さんもお母さんも、シェルターの方に避難しているかもしれない」

「……うっぐ、えっぐ……。おねえちゃん……パパもママも、いけないの……」

 顔をくちゃくちゃに歪めて泣きじゃくる少女は、その場から動こうとはしなかった。大地を揺るがす足音が、直ぐ後のビルの影まで迫っている。

「行けない……? どういう、ことだ?」

「パパもママも……動かなくなっちゃったの……。おっきいモンスターに殴られて、動かなくなっちゃったの……!」

 少女は顔を上げ、大粒の涙をぼろぼろと零す。彼女の両親は既に、モンスターに殺されていたのだ。
 だが、エンブリオの中に少女を放っておくという選択肢は無かった。少女の言葉に一瞬怯むも、彼女の細い腕をしっかりと掴む。

「それは、辛かったろう……。だが、お前が此処で命を落としては駄目だ。父親も母親も悲しむ……!」

 だから付いて来い。そう言って、少女と共に走り出そうとしたその時であった。
 ズンッという地響きが、背中の直ぐ近くで聞こえる。体が軽く跳ね上がった。

「おねえちゃん!」

 少女の悲鳴に、エンブリオは背後を見やる。目に入ったのは掲げられた巨人の拳。巨大なハンマーを連想させるそれは、逆光を浴びて黒々と凶悪に光っていた。

「しまった……!」

 拳が風を切る音に絶望が過ぎる。エンブリオは、咄嗟に少女を庇うように抱き締めた。
 容赦なく振り下ろされる拳。エンブリオの細い体はなす術も無く打ち砕かれる――筈だった。
 しかし、その衝撃はいつまで経っても襲っては来ない。思わず瞑っていた双眸を恐る恐る開くと、自分の直ぐ前に『影』が居た。

 否、それは風に靡く黒いコートである。漆黒の髪を衝撃波に委ねながら、その人物は剣一本で巨人の拳を受け止めていた。

「な……貴方は……!」

「行け」

 凛とした静かな青年の声が響く。それは、エンブリオの背中を押すほどの力があった。

「その少女と共に、避難しろ!」

 青年の剣が巨人の拳を弾き飛ばすと同時に、エンブリオは走り出した。少女の手を確り握り、一目散にシェルターへと向かった。背中越しに、青年に礼を言い続けながら。
 

 あの日の事は今でも鮮明に覚えている。漆黒の髪に顔半分を覆うゴーグル、そして、しなやかな体躯とあの声。
 巨人相手に勇敢に戦い、二つの命を救ったあの青年は、紛れも無く月詠棗だったのだ。






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