「残念だ、月詠棗。お前ならば我が理想に同意してくれると思ったのだがな」 「……エンブリオ、一つ聞きたい。ネオヒューマンというのが、人類進化計画の礎なのか」 「そうだ。コードを体内に直接宿した者をそう呼んでいる。人工的にエンシェントを作り上げるようなものと思ってくれればいい。――いや、エンシェント以上の実力が期待出来るか」 「よく仰いますね。変身能力を有した者は、暴走してしまったというのに」 間髪を入れずに皮肉を零すエニグマだが、エンブリオは鼻で笑っただけであった。 「実戦に投入するのはただの実験体だ。データサンプルを得る事が出来ればそれで良い。……今回は変身能力を有したコードシステムの戦闘力と持続性を計る事が出来たしな」 「つまりは、あの男は使い捨てのサンプルと言った所か」 まるで吐き捨てるような棗の台詞に、エンブリオは躊躇する事も無く「そんなものだ」と答えた。 口調こそは静かなものの、背中を見つめていたアリスは直感的に捉えた。棗が激しい感情を必死に抑えている事を。 それが溢れ出すかのように、鋭い空気がチリッとアリスの目の前を走る。ピリピリとした緊張感が指先を侵食した。 アリスは信じられないものを見るかのように、エニグマとエンブリオを交互に見つめる。 二人は気付いていないのだろうか。引き摺り込まれそうな程に深い憤りの感情に。それは、棗を中心にこの部屋全体を支配するかのように渦巻いている事に。 「エンブリオ……。お前は理想を実現するために、ヒトを実験体と称して捨て駒同然に放つ事すら厭わないというのか」 「それが我が理想のためであれば仕方があるまい。大事に犠牲は付き物だ。人類を救うための損失としては、少な過ぎる方だと思わないのか?」 「何が犠牲だ。何が損失だ。……お前は理想の為に現実が見えていない。人類進化計画など、大それた事を……。ヒューマン全てにそんな事が出来るとでも思っているのか!」 「その為にネオヒューマンの開発と実験を行っている。――コードゼロは、人知を超えた力があるとは言え、コードシステムに変わりは無い。コードシステムにはコードユーザーがいなくてはいけ無い事は、知っているな?」 エンブリオの問い掛けに、棗は目を眇める。 「……コードゼロのコードユーザーを得る為に、強化人間たるネオヒューマンを作っていると? コードゼロの膨大な情報量と底知れぬ力は、ヒューマンでは耐えられぬから」 「御名答。その通りだ」 皮肉も侮蔑も無い、淡々とした賛辞を送るエンブリオ。その目は冷たくも、己の思想を信じて疑わぬ強い意思が込められている。 「コードゼロのユーザーを起点に、コードシステムのネットワークを利用して全てのコードユーザーに『進化の可能性』を配信する。そうすれば、インベーダーを一瞬で殲滅出来るほどの力を得る事が出来るだろう」 「……つまり、コードユーザーのみが進化するということか。選ばれし者、いや、力を得た者のみがその恩恵を受けるというのか……!」 コードシステムはインベーダーに対抗する唯一の手段と言って良いほどのものである。だが、その高価さと生産コストゆえに、一般市民の下へは殆ど行き届いていないというのが現状だ。対抗する術が見つかったとは言え、大半の市民は依然としてインベーダーに怯える日々を過ごしている。 そして、全てのコードユーザーが棗のように弱者を助けようという思想の持ち主というわけではない。ヒューマンの中でも、力による上下関係が出来上がっていた。 エンブリオの計画は、その差を更に広げるというものなのである。 「それに……、先刻のヘビモス・イミテーションのような者も現れないとは限らない。急速な進化は生態を歪める」 「それはごく少数だ。数々の実験の末、データとして出ている。……先にも言ったが、多少の犠牲はつきものだ。生き残った者が次の時代を築けば良い」 きっぱりと言いきったエンブリオに、棗は遂に啖呵を切った。 「――お前のしている事と、掲げている理想は矛盾しているッ!」 ドンッという鈍い音と共に、棗の拳がデスクに減り込んだ。 物静かな棗が声を荒げた事へか、それともデスクが彼の拳型に凹んだ事へか、エンブリオとエニグマは思わず息を呑む。 「棗……」 棗の目に宿されたのは、エンブリオの誘いへの完全なる拒絶だった。『敵』とすら認識しているであろう眼差しに、彼女は自嘲的な溜め息を漏らす。 「やはり、な。――ヒーローというのは助けた者の顔は覚えていないのか。まあ、人助けをする機会が多ければ、仕方が無い事だ。……こちらはお前の顔をよく覚えているというのに」 「……何?」 遠くを見つめるエンブリオに、棗は訝しげな声を上げるが、 「残念ながら、交渉決裂のようですね、社長殿。因みに、私の答えもノーに御座います。機関を裏切る気は毛頭御座いませんからね」 エンブリオの背後の戦闘員達が動いたのに気付いたエニグマが、スッと右手を構える。 誘いを断った以上、相手の目的は秘密を知った者の消去とアリスの奪還だろう。戦闘員の人数が多いものの、幸い、入り口は一箇所である。そこを目掛けて聖焔を放てば、強引ではあるが正面突破が可能だ。 しかし、エニグマが策を練っていると、それを嘲笑うかのようにエンブリオが口を歪める。 「そうそう。言い忘れていたが、お前達の魔術はこの部屋の中では作用しない。アンチマジックの結界を張っているからな」 「アンチマジック……。魔術作用を打ち消す結界か……!」 「その通り。察しているだろうが、秘密を知ったお前達には消えて貰う。――あの世で後悔するが良い」 エンブリオが右手を掲げるのを合図に、戦闘員達は手にしていたプレートを棗達に翳す。名刺ほどの大きさのプレートに魔法陣が浮かび上がったと同時に、棗とエニグマの足元に同じ魔法陣が出現した。 青白く不気味に光るそれは、二人の動きを拘束する。 「っく……。アリス……!」 棗の手はアリスに届かない。アリスは縋るように手を伸ばすが、魔法陣から溢れる光に阻まれた。 「これは、転送魔術!? このような高等な魔術すらコードシステムで再現出来ると言うのですか……!」 「驚いたか、エンシェント。とは言え、未だ転送先を自由に設定出来る程には達していないがな。エネルギー消費も大きく、実用には遠い」 腕を組んで成り行きを見守るエンブリオの目には、勝利が確信されていた。魔法陣の輝きが増すにつれ、棗とエニグマの足元は浮遊感に包まれていく。自分が確かにそこに存在しているという確信が揺らぐ不安定さが彼らを支配していった。 「これはな。暴走した実験体を或る場所に転送する為に開発したんだ。暴れられて施設を壊されては大変だろう?」 「棗さん、エニグマさん……! 待って、行かないで……!」 余裕に満ちたエンブリオの声と、喉が裂けんばかりに上げられるアリスの声が遠のいていく。 「アリス……!」 棗の手がようやく動いた。拘束せんとする見えない力を振り払い、アリスに向かって手を差し伸べたその瞬間、二人の間を無慈悲な闇が切り裂く。 「――さようなら。私のヒーロー」 暗転する視界の中で、エンブリオの呟きが聞こえた。やけに鮮明なそれには、追慕の想いすら込められているかのようであった。 次の瞬間、真の静寂が二人を包んだ。 |