アリスはアカデミーに通っており、何人もの友人が居た。休日は友人と出掛けたりしていたのだが、何故かその時の記憶と友人の顔が思い出せない。
 アリスが得意な教科は歴史で、歴史小説を読むのが趣味だった。アカデミーの図書室で大量の小説を借りて来た筈なのだが、何故かその内容を思い出す事が出来ない。
 アリスの母親はアリスが幼い頃に病死してしまったのだが、母親の姿も声も温もりも、全てが思い出せない。
 その違和感に気付きつつも、アリスは無意識の内に見ないふりをしていた。それを認めてしまったら、今の自分が壊れてしまうかもしれないから。
 今の自分を壊さないためにも、つぎはぎのような『記憶』を頼りに、自分自身を確りと守っていた。
 だがしかし、エンブリオの一言によって、アリスの壁は脆くも崩れ去る。

 ――『Aliceシステムの核』。

 それが自分の正体だと言われたアリスは、目を見開いたままがくんと膝を折った。カタカタと小刻みに震える彼女に、エンブリオは嘲笑混じりの声を張り上げる。

「どうだ。思い出したか! 情報思念体――たかが自我を持っただけの情報体が。偽りの記憶を植えつけられ、人間のつもりでいたのか!」

「ち……違う……。私は、私は……」

「偽りを重ねた人間ごっこなど終わりだ。お前はさっさとこちらに戻って来い。――哀れな偽物が真価を発揮出来るのは、こちらしか無いのだからな!」

 己が身を抑えて震えるアリスにエンブリオが歩み寄ろうとした刹那、

「――待て!」

棗がその間に割って入った。一歩踏み出したエンブリオと棗、両者の強い眼差しがぶつかり合う。
「何のつもりだ」
 目を眇めるエンブリオだったが、棗は縮こまるアリスに視線だけ向けた。震える肩に手を添えてやる代わりに、そっと包み込むような口調で囁く。

「アリス、お前は偽物ではない。少なくとも、お前が父親を探したいと必死になった想いは本物だろう。……そして、お前が何だとしても、短いながらも俺と過ごした時間は、偽りではない筈だ」

「……棗さん!」

「……俺にとっては、今のお前が『アリス』だ」

 顔を上げたアリスの目には涙が浮かんでいた。先程まで絶望と混乱に満ちていたのが嘘のような、希望と救いに満ちた眼差しが棗の背中を捉える。

「ふん、お優しい事だな。貴様には『それ』が何なのか分っているのか」

「ええ、確かにアリスの事も気になりますが、私にとっては貴方の狙いの方が気になりますね。エナ=エンブリオ、システムを使って何をしようというのです?」

 事の成り行きを黙って見ていたエニグマは、棗と同じくアリスを庇うように一歩踏み出す。

「……聖焔使いか。お前のバックに何の組織が構えている? 誰に命じられて、我が社を探っているんだ」

「質問を質問で返すとは、感心しませんね」

「減らず口を……」

 エンブリオの背後で戦闘員達が構えるが、彼女は戦闘員を手で制した。くっと唇を歪めて笑みを作ると、挑戦的ですらある微笑を浮かべるエニグマと向き合う。

「まあいい。教えてやろう。――我々がAliceシステムを利用し、コードゼロを生成しようとしている理由。それは、『人類進化計画』のためだ」

「人類進化計画……だと?」

 目を眇める棗に、エンブリオは深く頷く。

「月詠棗、お前ならば感じたことがあるだろう。ゲートクロス事件後の世界の『歪み』を。――異世界からの闖入者がこの世界を食い荒らすことによって、人類は破滅の方向に向かいつつある。我が社がコードシステムを開発し、インベーダーに対抗する術を会得したが……インベーダーの増加にコードシステムの開発が追いつかない」

 エンブリオの握った拳が震えていた。その瞳には、燃え上がる程の決意が抱かれている。

「だから! 人類自体が進化すべきなのだ! ――コードゼロの力さえあれば、人類を次の段階へと導く事が出来る! 今こそ、インベーダーを排除し、人類が再びヒエラルキーの頂点に立つべきなのだッ!」

 強烈な想いが込められたその声は、天地を揺るがさんばかりに反響する。エンブリオの演説には、何もかもを成し遂げてしまいそうな力があった。
 事実、背後で待機している戦闘員達は、崇敬の眼差しで彼女の背中を見つめている。まるで、一種の宗教団体のように。

「お前達も私と来るがいい。――特に、月詠棗。お前なら分る筈だ。弱者が虐げられなくてはいけないという、この世界の理不尽さを」

 エンブリオはスッと右手を差し出した。その口元には絶対的な確信を抱いている。

 それに対して棗は――、

「断る」

 その一言が、エンブリオが作り出した雰囲気を一蹴した。エニグマは微笑を浮かべて肩を竦め、アリスは心配そうだった表情を安堵の笑みへと変える。
 エンブリオは一瞬だけ目を眇めるが、溢れ出す感情を抑えるかのようにわざとらしい溜め息を吐いた。






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