しんと静まり返った白い廊下が続いていた。地下の研究施設には幾つもの部屋があり、廊下の窓からその様子を眺める事が出来る。 そこには、一切の表情を出さずにパソコンのキーボードを叩いている研究員ばかり居た。 生身の人間がそこに居るとは思えない空間に、違和感とある種の異常性を胸に抱きながら、三人は奥の部屋へと向かう。 「しかし、内部には全く警備員が居ないんだな。入り口に居たから、てっきり……」 「彼らにとって、警備員すらノイズなのでしょう。ここはサイエンティストの領域ですから」 窓越しの研究員に見つからぬよう、棗とエニグマは姿勢を低くしながら奥へと向かう。足音を忍ばせる二人であったが、その背後で、 「きゃっ!」 短い悲鳴が聞こえたかと思うと、アリスが転倒した。床を這うコードに足を引っ掛けてしまったのだ。咄嗟に自らの口を塞ぐアリスだったが、遅かった。 「っく……!」 棗はアリスを抱えて奥まで走ろうと手を伸ばす。一方、エニグマは研究員の動きを伺おうと窓の向こうに目をやった。 だが、泣きそうなほどに謝罪の意を視線に含ませるアリスとは裏腹に、研究員の反応は無かった。 「おや……? 警報機すら鳴らしませんか」 「目が合った。こちらを見たのは確実なのだが……何故だ?」 訝しげな顔をしながら、アリスの手を引いて立たせる棗であったが、一瞬だけこちらに注目した研究員の視線はパソコンのモニタに戻っていった。まるで、こちらの事など一切興味を示さないかのように。 「自分達の研究と侵入者では、研究の方が断然大事だと――そういう事ですかね。我々に構って時間を無駄にするのは惜しいと」 「でも……、私達が彼らの研究の邪魔をする事を目的としていたらどうするつもりなんでしょう」 アリスは訝しげな棗とエニグマの間からひょっこりと顔を出す。棗はゴーグル越しに目を眇めると、 「自信があるんだろうな。俺達が邪魔出来ないという、自信が。よほど堅牢なセキュリティシステムでも組んでいるんだろう」 そう言って止まっていた歩を進め始めた。アリスとエニグマもそれに続く。 廊下の突き当りにはICカードでロックを解除するタイプの自動ドアがあったが、エニグマが持っていた偽のICカードが道を開いた。 三人の目の前に姿を現したのは、無人のコンピュータールームだった。研究員との対面を覚悟していた三人は肩透かしを喰らうような感覚に囚われる。 「妙だな」 「ええ、妙ですね。まるで誰かの意図に踊らされているかのように御座います。ですが、この状況を幸いとしましょう」 エニグマは懐から小型カメラつきのインカムを取り出して装着した。 「コンピュータールームに侵入致しました。ハッキングの指示を」 マイク越しに喋っている相手はエニグマの機関のメンバーだろうか。棗とアリスは、エニグマがコンピューターのセキュリティを破る間、見張りにつくことにした。 とは言え、廊下からこちらへ来ようという人間は影一つ見えないが。 これだけ好き放題にしても警備員が来ないところを見ると、エニグマが言っているように踊らされているのだろうか。 棗の胸にそんな疑念が浮かんだその時、アリスにくいっとコートの袖を引っ張られた。 「どうした。疲れたのか?」 普通の少女ならば、緊迫したこの状況は辛いだろう。棗はそう思いながら言葉をかけるも、アリスはふるふると首を振った。 「大丈夫。私は大丈夫です。それよりも、棗さんやエニグマさんを巻き込んでしまって、申し訳ないなって思って……」 「気にするな。俺が勝手にやっているだけだ」 顔を俯かせるアリスの頭に、棗はポンと優しく手を置いた。アリスは照れ臭そうにはにかんで返すと、 「棗さんって、優しいんですね。本当に、何から何までお世話になっちゃって……」 「ただの御節介とも言うな。まあ、そんな台詞はお前の父親が見つかってから言うことだ」 「……そう、ですね」 アリスは顔を俯かせ、戸惑うような声を漏らす。 「私、不安なんです。いなくなったパパを探さなくちゃって思うんですけど、パパの事を思い出そうとする度に、頭が痛くなるんです。まるで、その先を思い出してはいけないかのように」 そこまで言うと、アリスはそっと顔を上げた。 そこには、まるで何も無い砂漠の真ん中に一人で取り残されたかのような、心細さと不安が入り混じった表情がある。 「私は一体、何者なんでしょうか?」 「……アリス」 「ごめんなさい、棗さん。私ったら変ですよね」 棗は彼女の名前と目的しか知らなかった。彼女の不安を拭い去るような事は知らなかった。 ただ、彼女が名乗った『彼女の名前』を口にするのが精一杯だった。 |