だが、アリスを誘導しながらエニグマに続こうとしたその時、前を歩いていたエニグマが唐突に足を止めた。棗もアリスを庇いながら、懐の呪符に手をやる。
 エニグマの肩越しに見えたのは、赤い制服の警備員だった。だが、先程倒した者達とは何かが違う。単身で三人の前に立ちはだかる姿は、堂々たるもので隙が無かった。

「そこを通して頂けませんか?」

 飽くまでも物腰柔らかに問い掛けるエニグマに、戦闘員の男は首を横に振った。
 目深に被った帽子から覗く眼光は鋭く、仁王立ちになる姿は岩山のようである。固くへの字に結んだ口は、一度決めた事は曲げぬという頑固な信念の持ち主である事を物語っていた。

「エニグマ、気をつけろ。……この男、只者ではない」

「ええ、私も感じております。ただのコードユーザーではなさそうですね」

「その通りだ!」

 男の声が壁や天井に反響し、空気をビリビリと震わせた。男は大の大人を二、三人吹っ飛ばせそうな程に強い鼻息を吐くと、ズンッと一歩踏み出た。

「その娘をこちらに渡せ。でなければ、生きては帰さん!」

「おや、これは大きく出ましたね。一流と謳われた大企業の戦闘員が吐く台詞とは思えませんが」

 おやおや。と言わんばかりに頬に手を当てるエニグマに、男はにやりと口元を歪める。

「この俺が、ただの戦闘員だとでも? 俺はただの戦闘員でもコードユーザーでもない」

 男がそう言った瞬間、ミシリという軋んだ音が空気に響いた。全身を駆け巡る殺気と悪寒に、棗は反射的にエニグマの腕を掴む。

「下がれ!」

 棗が叫んだその瞬間、異変は起きた。
 べきっばきばきっ、という嫌な音が広い通路に反響する。音の主は目の前の男。彼の体が、変形していたのだ。肩が外れ、背中が盛り上がる。腕がねじれ、足が肥大化していった。

「もう……遅い。どうせ……渡す気が無いのなら、俺の……訓練相手になって――貰おうッ!」

 言葉を紡いでいた口が歪む。指先も体も、ぼこぼこと音を立てて膨れ上がり、揺れながらも辛うじて直立の姿勢を保っていた背骨は、遂に重さに耐え切れず、前に倒れた。
 棗はコートの裾を掴んだアリスが震えているのを感じる。彼女を落ち着かせるように肩を抱き、異形と化した男をねめつける。男は既に人間としての原形をとどめていなかった。

「――ヘビモス」

 エニグマは固唾を飲んでそう呟く。
 目の前に聳えるは戦闘員の男ではなく、体高二メートル程もあろうかという、巨大な水牛であった。赤く煌々と輝く眼は、まるで闇夜に浮かぶ紅い月のように三人を映している。二本の角は鉄棒のように凶暴且つ硬質な輝きを放っていた。
 棗はエニグマの言葉に目を丸くする。

「ヘビモス? あの、伝説の魔獣か……?」

「ええ。とは言え、御本人では御座いませんし、ヘビモス・イミテーションといった所でしょうか」

「ふははは、驚いたか! これがただのコードユーザーと『新人類(ネオヒューマン)』の違いだ!」

 角を振るって高らかに笑う男――ヘビモス・イミテーションの声は、喉を潰したかのような酷いものであった。ノイズに満ちた声に思わず耳を塞ぎたくなるが、棗は或る単語を逃さなかった。

「ネオヒューマンだと? 人間――ヒューマンでは無いというのかッ?」

「ただの人間と一緒にするな。我々こそは新人類! コードを体内に宿した次の時代の申し子よ!!」

 次の瞬間、ヘビモス・イミテーションが上げた前足を勢いよく振り下ろす。大地を揺るがす衝撃が走り、棗はよろけぬように壁へと手をついた。

「コードを体内に……ッ? 馬鹿な。どんな副作用があるかも分らぬというのに!」

 コードシステムのコードとは、本来体に刻むものなのである。刺青のように刻まれた紋章と、コードシステム付与時に渡される増幅器がセットとなって、初めてコードシステムを使用出来るようになるのだ。
 体内に宿すということは、増幅器を体内に埋め込むという事なのだろうが、増幅器一つでも恐ろしいほどの力を生み出すので、人間の体が耐えられるとは思えなかった。

「人間が……インベーダーに……?」

「お前は安全な場所に居ろ。直ぐに片付ける」

 唇を青ざめさせ、わなわなと震えるアリスに、棗は静かに言い放って背中を押す。






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