閃光が放たれた直後、棗とアリスは頭上から現れた何物かの腕に、天井の通気口へと導かれていた。 敵か味方か分らないが、今の状況を打開するためには介入者の手をとるしかなかった。 ゴーグルをつけていた為、視界を奪われなかった棗がアリスを誘導しながら、介入者の後をついて行く。 迷路のように複雑な角を、どれほど曲がったことだろう。狭い通気口を抜ければ、そこは倉庫のような場所であった。 室内の広さからして、もとは会議室にでも使われていたのだろうか。だが、机は壁に寄せられたまま久しく、床には埃が積もっている。 そんな中、介入者たる人影は右腕を一振りし、一瞬にして灯りを生み出したのである。呪文も媒介もなく術が発動したことに、棗は驚愕の表情を浮かべた。灯りは一点の揺らぎも無く、緻密な構成の術で作り上げられている事が分る。 「……何者だ……?」 「嗚呼、失礼致しました。名乗り遅れてしまいまして、申し訳御座いません」 丁寧な受け答えには、慇懃無礼さが色濃く、それでいて隙が無かった。 後ろ姿の介入者は、ゆっくりと棗とアリスの方を振り向く。背丈は男性の平均よりもやや低いか。黒いファーが惜しみなく付いたジャケットを纏い、ローブのような服の裾を靡かせる。 その男は恭しく頭を下げたかと思うと、 「私の名はエニグマに御座います。以後、お見知り置きを」 ゆっくりと上げられた顔は、やけに幼かった。下手をすれば十代半ばに見えてしまう程なのだが、彼が纏った雰囲気は未熟な少年のものではない。静かに湛えられた笑み、隙の無い物腰、それらは幾多の修羅場を乗り越えた熟練の者が醸し出すものであった。 薄金の前髪に、短く纏められた漆黒の後髪。爬虫類のような真紅の瞳は本心が読めず、こちらの心の内すらも読んでしまいそうである。 棗は感じた。この男は敵に回してはいけない、と。 アリスも直感的に悟ったのか、そっと棗の後ろに隠れる。コートの裾を掴む手は、震えていた。 両者の間に走る緊張感。火花のように空間を走ったそれは、一触即発を予感していたが、 「ふふ、そんなに警戒なさらないでください。私は――貴方方の敵では御座いません」 次の瞬間、エニグマの口元から微笑が零れた。 まるで女性の様に、柔かくて穏和な笑みである。張り詰めていた緊張が解けたのか、アリスは目をパチクリと瞬かせた。 「私はただ、この会社を調査していただけに御座います。そこで偶然、追われていた貴方達を見つけた。……それだけなのですよ」 頬に手を添え、エニグマは肩を竦める。すっかり毒気を抜かれたアリスは「そ、そうなんですか……」と脱力するも、棗は警戒を解かなかった。 「しかし、このエンブリオカンパニーにエンシェントが自ら調査をしに来るとは……。一体、この会社には何が隠されているというんだ」 『古代種(エンシェント)』――それは、生まれながらにして魔法の才能を持っている者達である。コードシステムを有する事無く魔術を使い、構成や威力、全てにおいてコードシステムを凌駕すると云われている。 一説によると、彼らの魔術がコードシステムのオリジナルとされていた。古き魔法使いと呼ばれる彼らは時代が進むにつれて数少なくなりながらも、現代まで生き延びてきたのである。 そして、棗とアリスの目の前にいるこの男、エニグマも――。 「おやおや、お気付きでしたか。――月詠棗でしたっけ。調査中に偶然、貴方の名前を目にしたのですが、随分と功績を挙げていらっしゃるようで……」 「俺の事はいい。教えろ。エンシェントが何を調査しているのかを」 間髪を入れずに制止した棗の言葉に、エニグマは目を眇める。 「その呼び方はおやめなさい。私は貴方方と隔たりを作られているようで、好きでは無いのです。――まあ、良いでしょう。お話します。何故、私がここに訪れたのかを」 エニグマが手にしていた灯りを宙に放ると、二メートルほど浮上したところでぴたりと止まった。白熱電球のような明るさを放つ灯りの下で、エニグマは一切の笑みを消し、神妙な面持ちになる。 「我が『機関』にて、予言が降りたのです。――エンブリオカンパニーの恐るべき計画により、世界が混乱に陥るという予言が」 あまりにも唐突な台詞に、棗は沈黙しか返せなかった。アリスの固唾を呑む音が静かな室内に反響する。 「ゲートクロス事件は、御存知ですか? あの事件も、予言されていた事だったのです。私はそれを知っていながら、何も出来なかった……」 きゅっと拳に力が篭る。それは、彼の悔しさの表れなのだろうか。 「あ、あの、ごめんなさい。私、ゲートクロス事件の事をよく知らないんですけど……」 遠慮がちにそう言ったのは、アリスだった。棗とエニグマは一瞬きょとんとして顔を見合わせるも、未だ少女とも言えるアリスの事を思えば、納得したように頷く。 「十五年前――お前の物心がつく前に起こった事件だろう。知らないのは無理も無い。……とは言え、ゲートクロス事件を説明するには、世界の仕組みを教える所から始まるのだがな」 そう言いつつも、棗は面倒くさそうな顔を一つせずに説明し始めた。 |