棗がバニッシャーになった理由は、単純なものであった。
 バニッシャーとしてインベーダー駆除の活動をすれば多額の報酬が期待出来るからだとか、英雄として祀り上げられるとか、そんなものではない。
 ただ、戦う術を持たない一般人を守りたいという理由だけでバニッシャーとなり、危険を顧みず戦っている。
 インベーダーに対抗する兵器としてコードシステムが開発されたが、一般人が手を出すには高価なもので、その上、適合者でなければ扱う事が出来ない。エンブリオカンパニーは『一般人にも戦う力を』というスローガンを掲げているが、とてもではないが一般化されているとは言い難い。
 つまり、世界には未だ、力無き者が大勢居るという事である。
 インベーダーが爪を振るえば幼き子供の血肉が飛び散り、動かなくなった子供の亡骸を抱いて母親が泣く。炎の一つでも吐けば家が焼け、そこで暮らしていた者達の日常が一瞬にして奪われる。力有る者の傍若無人な振る舞いにより、力無き者が虐げられるという光景は、棗にとって見るに耐えないものであった。

 だからこそ、棗は剣を振るい、呪符を放つのだ。
 エンブリオカンパニーに所属したのは、活動のバックアップが欲しかった為である。依頼で得た報酬は活動資金に当てるか、インベーダーによる被害者支援の会へ匿名で寄付していた。
 そして、エンブリオカンパニーから依頼される仕事以外にも、棗は昼夜休む間も無くインベーダー駆除に専念したのである。
 
 一般人の味方である事を掲げ、その為に全てを費やす男――月詠棗。彼は今、選択を迫られていた。
 逃げ出したアリスと、それを追うエンブリオカンパニーの警備員達。彼女らの事情は良く分らなかった。
 知っている事と言えば、アリスの父親は『志藤アキツ』と言って、エンブリオカンパニーで働いているらしい事。そして、三日前から姿を見せないという事だ。
 当のアリスに関しては、反応や仕草を伺っていたのだが、未だに正体が分らない。だが、ただの少女ではないような予感はしていた。演技なのか本気なのか、彼女の記憶は曖昧なのである。普通であれば知っているだろう父親の勤め先すら知らなかったのだ。

 不自然な点と言えばそれだけではなく、今朝の朝食にも一口も手をつけなかった。最初は警戒しているのだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。まるで、食べるという発想自体が無いかのようであったのだ。
 それに加えて、エンブリオカンパニーの警備員の反応。
 アリスの存在自体、胡散臭い事この上なかった。

(だが、このまま黙って見過ごせというのか?)

 棗の胸に疑問が浮上する。まるで水面に落とされた雫のように、それは波紋を作って広がった。

(正体が分らないとは言え、あの少女は戦う術を持たない者、力無き者。そんな少女が追われているのを、黙って見過ごせと?)

 ここでアリスの手助けをすれば、エンブリオカンパニーの警備員の業務を妨害したとして重い処罰を受けるだろう。下手をすれば、契約自体を破棄されるかもしれない。

 だが、次の瞬間、棗の体は動いていた。
 ロングコートを靡かせ、まるで木の葉のような身軽さでひらりとエスカレーターのベルトに飛び乗る。
 アリスに追いすがる警備員の脇を駆け抜け、もがくように逃げていたアリスの目の前へと降り立った。

「棗さん!」

 アリスは歓喜の叫びをあげると、棗の手を確りと握る。手の平は小さく、指はか細い、実に頼りない少女の手だった。
 棗はそれに応えるように強く握り返すと、彼女と共に走り出した。






<<BACK TOP NEXT>>