メトロに揺られて二十分。駅を出て直ぐの場所に、エンブリオカンパニーの本社があった。

 天を貫くかのように聳え立つビルは往来の人々を静かに見下ろし、風格を醸し出しながら佇んでいた。
 澄み渡った青空の下、棗とアリスは自動ドアを潜る。
 外の都会特有のむっとした熱気とは裏腹に、社内はひんやりとしていた。底冷えする寒さではなく、人間が過ごし易い適度な温度に保たれている。爽やかな人工の風が頬を撫でる中、アリスはきょろきょろと社内を見回した。
 一見した感想としては、「広くて綺麗」である。鏡のように磨かれた白い床の感触は滑らかで、ガラス張りの高い天井が頭上を覆っていた。
 ロビーの座り心地が良さそうなソファではスーツ姿のサラリーマンが携帯電話で誰かと話しており、巨大な電子案内板の前では十人以上の学生が集まってメモを取っていた。会社見学をしているのであろう彼らの脇を通り、棗は真っ直ぐと受付を目指す。

 明るいロビーの中で、棗の黒ずくめの姿は浮いていた。
 流石にゴーグルこそはかけてないものの、黒髪黒目、黒コートの下も黒ズボンに黒のタートルネックとなれば、光の下では濃厚な影となって浮き出てしまう。しかも、無駄が無く鍛えられたしなやかな体躯と、控えめではあるが整った容姿は、どうも人の目を惹きつけてしまっていた。
 棗と共に自分に注がれる好奇の視線から逃れようと、アリスは棗の後ろに隠れるように歩く。

「棗さん、平気なんですか?」

「何がだ」

 問い掛けてもこの調子である。アリスは痛いほど視線を感じていたのだが、棗にとって日常茶飯事だから慣れているのだろうか。お陰で、アリスは二人分の視線を注がれている錯覚に陥っていた。
 そんな事を考えているうちに、受付の前まで辿り着く。ボブカットの控えめな美人の受付嬢が、マネキンのような笑顔を貼り付かせてアリス達にぺこりと頭を下げた。

「お早う御座います。本日はエンブリオカンパニーにお越し頂き、誠に有り難う御座います。お客様はどういったご用件でしょうか?」

「これを」

 マニュアルどおりの台詞をアナウンサーのような饒舌さで紡ぎ出した受付嬢に対して、棗の返答は実にシンプルなものだった。エンブリオカンパニーのロゴが入ったICカードを提示され、受付嬢は「あら」と声を上げて人間らしい表情をする。

「『傭兵(ソルジャー)』の方でしたか。少々お待ちください」

 ソルジャーというのは、棗が言っていたような傭兵のような立場の者をいう。
 エンブリオカンパニーと契約し、依頼された仕事をこなす毎に、それに見合った報酬を受け取るのだ。実力が高ければ、その分だけ難易度と報酬が高い依頼が舞い込んで来るという仕組みである。

「あと、人を探して欲しい。ここの社員だと思うのだが」

 二人のやり取りを後から見ていたアリスは、振り返った棗と目が合った。

「あっ! 私の、私の父を探しているんです。その……実は三日前から」

「良いから父親の名前を言え」

 一から事情を話し始めようとするアリスに、棗は間髪を入れずそう言った。

「す、すいません……! 父の名は、志藤アキツといいます」

「志藤アキツ様ですね。少々お待ちください」

 受付嬢はにこやかに微笑み、カウンターの向こうにあるパソコンのキーボードに指を滑らせ始めた。
 棗は踵を返すと、ロビーの空いた席を示す。

「少し時間が掛かるだろう。座って待っていろ」

「棗さんは座らないんですか?」

「俺はいい」

 素っ気無く返事をすると、棗はロビーの柱に凭れかかり、コートのポケットから取り出したゴーグルを装着する。
 その瞬間、アリスは彼の周囲が闇に包まれたような錯覚に陥る。外界を拒絶するかのような雰囲気が醸し出されると同時に、二人へ向いていた視線はピタリと途絶えた。
 アリスは、その近寄り難さに思わず息を呑む。だが、深呼吸をしたかと思うと、頼りない足取りで棗の隣に歩み寄った。

「座らないのか?」

「良いんです。棗さんに聞きたい事が沢山ありますし」

 えへへ。と愛想笑いをするアリスだったが、棗は無言だ。
 だが、ゴーグル越しに伝わる視線は決して冷たいものではなく、寧ろ自分の言葉を待っているかのようである。アリスは緊張のあまり口が渇きそうになるも、意を決して口を開いた。

「あの……、棗さん。実は、コードユーザーを実際に見たのって初めてなんです。それで、色々お聞きしたいのですが、良いですか?」

 アリスは棗の顔を窺うが、棗は頷いただけであった。相変らず表情が読めない男である。

「えっと……。棗さんのコードって、お札みたいなものを媒介にしてますよね」

「呪符だ」

「あ、そうそう。呪符を媒介にしてますよね。具体的にはどんな能力なんですか?」

「…………『結界』型だ」

 少しの間を置いた後、棗はそう答えた。
 コード一つ一つに固有の能力があり、それは型式で大別される。コードは、その開発コストとコードユーザー自身にかかる負荷が故に、一人につき一つ所有する――つまり、一人につき一能力が一般的であった。

「結界型……。私を守ってくれたのもその能力の一端なんですね?」

「そうだ。結界型は、能力干渉エリア内に術を展開させるもの。防御や封印の術が主体となっている」

 棗曰く、彼のコードの干渉エリアは半径一メートル程度なのだという。それ故に、媒介たる呪符を投擲する事により、コードユーザーの手が届かない場所に結界を広げる事を可能にするのである。
 棗の説明を聞きながら、アリスはぽかんと口を開けてコクコクと頷いていた。間の抜けた表情を前に、棗はツッコミの一つも入れずに続ける。

「他には、攻撃に特化した『攻撃』型もある。発動ワードを唱えるだけで、何も無い場所から炎を出現させて飛ばしたりするのは、こちらだな」

「棗さんは攻撃型にしなかったんですか? バニッシャーって退治専門家みたいなものですし……」

「必要ない」

 その台詞はキッパリとしたものだった。見栄や自信の表れではなく、『不要』以外の何物でもないと言わんばかりである。
 思い返してみれば、棗は鮮やかな手口でキマイラを倒していたではないか。コードを使ったのは最初の一回のみで、キマイラに止めを刺したのは蛇腹剣の一閃である。
 人間だというのにインベーダーと対当かそれ以上に渡り合えるというのなら、攻撃以外を強化した方が良いという事だろうか。
 アリスが尊敬の眼差しで棗を見上げる中、当の棗は淡々と説明を続ける。

「他にも、自らの肉体的な能力などを強化する『強化』型、防御に特化した『防御』型がある。一般的なものはこれくらいだな」

「一般的……じゃないものもあるんですか?」

「ある。高価すぎて一般ユーザーには手が出ないものや、エンブリオカンパニーが開発して間もない試作品とか、な」

 コードは今でも充分高価で、一般人が易々と手を出せる代物ではないが、棗のような開発会社エンブリオカンパニーの関係者はかなりの安価で入手する事が出来る。とはいえ、試作品のデータを取るための実験台になっているという噂があるくらいだが。
 また、コードユーザーになる前には適正検査を受け、その人間に適したコードを選んで貰う必要がある。
 ここで適したコードが見つからなければ、その者はコードユーザーにすらなれない。後の、コードを埋め込む手術で拒絶反応が起こる危険性があるからだ。

命を落とした事例も少なくなく、エンブリオカンパニーは慎重になっている。

「コードって一言で言っても、色々あるんですね。私、漠然と単語を知っている程度で……」

 何だか恥ずかしい。と言わんばかりに、アリスは俯き加減で頬を掻いた。

「一般人ではその程度だろう。恥じる事はない」

 棗は淡々と紡ぐも、ぽんとアリスの肩に手を置いた。その手の平は温かい。まるで、アリスを慰めているかのようである。
 アリスの頬がほんのりと熱くなった。
 そんな事には気付かず、棗はアリスの肩から手を離すと踵を返す。向かう先は、受付カウンターである。どうやら、先程の受付嬢が棗を呼ぼうとした所だったらしい。

 受付嬢はアナウンス用のマイクに向かって言葉を紡ごうとした時の体勢のまま、そちらに向かって歩いてくる棗の様子を眺めていた。その表情には驚愕と、幾分かの困惑が表れている。
 アリスは首を傾げつつも、棗の後に続いた。





<<BACK TOP NEXT>>