アリスが深夜にオフィス街に居た理由、それは、父親を探す為であった。 彼女曰く、彼女の父親は三日も家に帰ってきていないのだという。マンションの一室、がらんとした2DLKで一人で過ごすには、長過ぎる時間である。 一日目は仕事が忙しいのかと思って待っていた。 二日目は何だかおかしいと思いつつも、父親がいつ帰ってくるか分らないので大人しく待っていた。 だが、三日目になって、居ても立っても居られなくて外へ飛び出したのだという。 しかし、宛ても無く探しているアリスに、父親の手掛かりを見つける事は出来なかった。人ごみを掻き分けながら、父親に似た人物と父親を何度も間違えながら、心細さで涙を零しそうになりながら、彷徨い続けた末に辿り着いたのが、あのオフィス街だったのだ。 話し終えたアリスは俯いた。表情を見せまいとするその顔は、今にも泣きそうである。 「成程。お前の事情は分った」 棗は頷きを返すと、アリスの肩に手を置く。口調こそは淡々としているものの、手の平は温かかった。 (棗さん……。この人なら、何とかしてくれるかもしれない) アリスの胸に、淡い期待が過ぎる。 その想いを形にすべく、言葉を紡ごうと顔を上げたその時、アリスのポケットから何かが零れ落ちた。 ぽすん、という軽く間の抜けた音を立ててカーペットの上に転がったのは、シンプルなデザインの黒いボールペンである。アリスが「あ……」と声を上げた頃には、棗がそれを拾い上げていた。 「これは?」 「パパのボールペンです。パパから預かってたの、すっかり忘れてて……」 「ふむ」 棗は短く相槌を打つと、ボールペンをくるりと回して見せた。 すると、ボールペンに刻まれた『EMBRYO COMPANY』というロゴがアリスの目に入る。発芽した卵の社章が添えられたそれを掲げながら、棗は静かに言った。 「これは、エンブリオカンパニーに雇われている者に支給されるものだ。お前の父親は、エンブリオカンパニーに勤めているのだろう」 棗は不思議そうに見上げるアリスにボールペンを手渡して返す。 「エンブリオカンパニー……。嗚呼、コードシステムを開発した会社ですね!?」 「そうだ。この街のセントラルエリアに本社がある」 棗が電子手帳を開けば、空中に立体マップが表示された。 シティホライズン全体を表したそれは、鮮やかな六色で色分けがされている。五つの地区に囲まれた中心の地区――それが、エンブリオカンパニーを始めとする巨大企業や重要機関が集まるセントラルエリアである。 棗曰く、彼の住まいがあるこの場所は臨海地区スマルエリアと言い、近未来モデル地区なのだという。 とは言え、棗が住んでいる貸しビルはスマルエリアの北端で、古い造りの建物が未だに残る地区なのだが。 パタンと電子手帳を閉じれば、立体マップも姿を消す。説明を食い入る様に聞いていたアリスだったが、棗に静かに見下ろされ、目をパチクリと瞬かせた。 「エンブリオカンパニーまでは、メトロを使って二十分掛かる。今からなら朝食をとって支度をすれば、丁度良い時間になるだろ」 「地下鉄に? えっと、どれに乗れば……」 シティホライズンのメトロは複雑で、幾つもの線が枝分かれしている。その数は、長く住んでいる者すら迷うほどだ。困惑するアリスに、棗は依然として淡々とした態度でこう言った。 「心配するな」 「え……?」 「俺が案内する」 シンプルな言葉であったが、アリスの胸に衝撃を与えるのには充分だった。 藁にも縋る想いでいたアリスは、相手が船にでも乗って助けに来てくれたような気持ちになる。 無口にして無表情で、何を考えているのか分らない相手だが、実はとても親切な人なのではないだろうか。そう思うと、不安に満ちていた心がすうっと軽くなるのを感じる。 「い、良いんですか!?」 「構わない。俺もエンブリオカンパニーに雇われている身だからな。――傭兵みたいなものだが、それなりに顔は利く」 「あ、あ、有り難う御座います……!」 アリスには棗が眩しく見えた。インベーダーに襲われたところを助けてくれた上、厚意で父親探しを手伝ってくれるとは、アリスはときめかずにはいられなかった。 年頃の娘の淡い憧れを胸に抱きながら、アリスは棗に深々と頭を下げる。 だがこの時、彼女は自分の異常に気付かなかった。父親が失踪してからの三日間、全く何も口にしていないのに平気である事に。そして今、棗が用意した朝食を見ても食欲が全く湧かない事に。 その理由が明らかになるのは、まだ少し先の事となる。 |