夜空に浮かぶ満月を背景にしたオフィス街の摩天楼は、ネオンに照らされながら沈黙のシルエットを浮かび上がらせる。 臨海都市『シティホライズン』の休日のオフィス街は閑静なものである。時間を気にしながら歩くスーツ姿のサラリーマンや、同僚とランチへ行くオフィスレディで溢れ返っている平日とは打って変わっていた。まるで街全体が眠っているかのようである。 ビルの狭間に落ちるのは沈黙。その静寂は死すら連想されるくらいだ。 しかし、日が変わり朝日が昇れば再び息を吹き返すだろう。だが、その静謐な領域に、一筋のノイズが走る。無意味に闇を照らす街灯の下に小さな影が踊った。 オフィス街全体を包み込む静寂の両腕にはあまりにも小さ過ぎるその影は、少女のものである。 彼女自身が起こす風に長い髪を揺らし、細い腕を千切れんばかりに振って走っていた。あどけなさを残しながらも女性の魅力を宿した翠眼を周囲に彷徨わしながら、頼りない足取りで沈黙の夜を塗り潰していく。彼女の空色のラインを宿した白地のスカートは、翻るたびに闇の中によく映えた。 「何処へ――行ったの?」 整った唇から零れ落ちる呟きには、不安と焦燥、そして困惑が含まれていた。人影の無い道、誰も座っていないベンチ、封鎖されているビルを見る度に、少女の表情に落ちた影が濃厚になる。 少女の胸には、このオフィス街のみならず、世界には自分一人しか居ないのではないかという錯覚すら込み上げて来た。 それでも足が自然と向く方へふらりと踏み出したその時、視界の隅で何かが動く気配を感じる。 「――パパ!?」 期待に胸を膨らませた少女は鮮やかな青髪を躍らせながら振り向いた。ビルとビルの間に自然と出来た通路を走り、気配のもとへと急ぐ。 それが、危険へと繋がる回廊だという事も知らずに。 少女は笑顔を灯しながらビルの間を抜ける。だが、その先の広場で彼女を待っていたのは、父親ではなかった。 それは少女以上に異質な存在。街灯の下に浮かび上がる影は、一目見て化け物と呼ぶに相応しい姿――異形である事が分った。 夜の帳に包まれながら佇んでいたのは獅子――しかし、その首からは山羊の頭部が枝分かれするように生えている。蝙蝠のような漆黒の翼を背中から生やし、ぬらりと鈍い輝きを放つ蛇の尾を揺らしていた。 「『闖入者(インベーダー)』!?」 異形――キマイラの姿を確認するなり、少女の顔から血の気が失せる。よろめくように一歩後退するも、キマイラは低く唸りながら一歩踏み出した。四つの目はギラギラと飢えた輝きを放ちながら少女を映す。両者の間に緊張が走った。 (逃げなきゃ!) 足が竦む直前、少女の脳裏に本能的な言葉が閃く。己に命じられるまま、踵を返そうとした刹那、キマイラが巨大な翼を広げ、宙を舞った。 巻き起こる風に煽られ、少女の軽い身体は地面に転がる。固いアスファルトに身体を打ち付けられた少女は、「あぅっ!」と短い悲鳴を上げた。 翼を羽ばたかせながら少女を見下ろすキマイラの目には明らかな殺意しかない。追い詰められた兎を見ているかのような目に、少女は背筋に冷たいものを感じた。 咄嗟に身を起こして逃げようとするも、指先がアスファルトを引っ掻くだけで思うように動かない。唸り声を上げるキマイラの鋭利な爪と、肉どころか骨までも砕いてしまうだろう牙が目に留まる。 少女を縛る恐怖は彼女に瞬きを許さない。酸素を取り込もうとするも、喉がヒューヒューと言うだけで、まるで陸に上げられた魚のように喘いだ。 チリッと鼻先に鋭いものが走る。刹那、闇を切り裂く咆哮が少女の耳を襲った。 「GAAAAAAA!」 ビリビリと空気が震える中、キマイラは滑空し、少女目掛けて右手を揮う。街灯の光を受けた爪は、無慈悲な輝きを放ちながら少女に襲い掛かった。 「――っ!」 少女の喉から漏れる筈の悲鳴は音にならず、見開いた瞳には絶望の影が過ぎる。 だが、次の瞬間、両者の間に一陣の介入者が現れた。 |